見出し画像

試験勉強のライバルは自分

日本語教員試験にチャレンジすると宣言して、今日で五日目です。「のっぴきならない事情」で、すでに丸々一日サボったものの、三日坊主には終わっていません。

私は「赤本」(大学受験の過去問の赤本とは違い、日本語教育能力検定試験向けの参考書)で勉強をしているのですが、全体像を把握するために三日ほどかけて一読しました。

が、内容が一ミリも入ってこない。試験範囲も広すぎて全体像なんてちっともわからない。もはや笑うしかないwww

そこで昨夜寝ながら考えてみた。この試験は受かるためのものではなく、挑戦することに意義があるのだと。

現実逃避な発想だなと思われるかもしれませんが、私としては、チャレンジすることに意義があると考えた方が、合格のプレッシャーに押しつぶされないためにも、一歩一歩合格へ近づくためにもいいのです。

日本語教員試験はオリンピックや定員が決まっている大学受験と違って、ライバルは存在しません。基礎試験で8割、応用試験で6割を取れれば、誰でも合格できるのです。

あえて言えば、ライバルは出題者とも言えるかもしれませんが、実際は出題者は、日本語教員の資質や能力を自分に問うてくれていると考えれば、ライバルではなく、師匠でも先輩でもあり、自分を成長させてくれる大切な存在です。

なんだかくどい話になってきましたが、受験勉強において、ライバルはあくまでも自分でしかないというのが、昨晩もんもんと考えた結論でした。

いいなと思ったら応援しよう!

日出丸
サポートありがとうございます!