見えない脅威『対人リスク』:組織成長への挑戦ー川上真史氏
川上真史ビジネス・ブレークスルー大学教授の「企業と心理学 トピックス #30 対人リスク」というテーマを取り上げます。
組織の成長と発展を妨げる目に見えない脅威、それが「対人リスク」です。対人リスクとは、組織という社会的な構造の中で、個々の構成員が他者との関係性において感じる様々な不安や恐れの総称です。
これは単なる人間関係の摩擦とは異なり、より深く、組織全体の心理的環境を左右する根源的な問題です。具体的には、自己の能力が不当に低く評価されてしまうのではないかという不安、周囲のメンバーから「うっとうしい」と嫌悪感を抱かれてしまうのではないかという恐れが挙げられます。このような感情は、組織内で自身の評判や評価を低下させ、ひいては相対的な立場を悪化させるという潜在的なリスクに繋がります。このリスクが組織全体に蔓延することで、メンバーは常に周囲の目を気にし、言動を抑制するようになり、本来発揮されるべき能力を十分に発揮できなくなるという深刻な問題を引き起こします。
対人リスクは、組織の成長を阻害するだけでなく、メンバーの精神的な健康をも損なう可能性を秘めているため、組織全体で真剣に取り組むべき課題と言えるでしょう。
対人リスクがもたらす組織への悪影響:心理的安全性と創造性の危機
対人リスクが組織内で高まると、様々な深刻な問題が発生します。最も大きな問題として挙げられるのは、「心理的安全性の欠如」です。心理的安全性とは、組織のメンバーが、自身の意見や提案、あるいは疑問や懸念などを、自由に、そして安心して発言できる状態を指します。これは、単に「何を言っても良い」という放任的な環境を意味するのではなく、発言によって評価を下げられたり、非難されたり、嘲笑されたりする心配がない、心理的な安心感のある環境のことです。
対人リスクが高い状態では、メンバーは常に周囲の評価を気にし、発言することに大きな抵抗を感じるようになります。その結果、組織内では、率直な意見交換や建設的な議論が阻害され、隠された問題やリスクが放置されることになりかねません。
また、対人リスクは、組織の「創造性」を著しく低下させます。新たなアイデアやイノベーションは、多様な意見や視点のぶつかり合いから生まれます。しかし、対人リスクを恐れるあまり、メンバーが自身のアイデアを自由に表明できなくなると、革新的なアイデアが生まれる土壌は失われてしまいます。結果として、組織は既成概念にとらわれ、変化に対応できない硬直的な存在へと変質してしまうでしょう。
対人リスクによるコミュニケーションの停滞と非効率な組織運営
対人リスクが高まると、組織内のコミュニケーションは著しく停滞します。メンバーは、「何か発言をすれば、能力が低いと思われるのではないか」「誤った発言をすれば、周囲から批判されるのではないか」という不安から、会議や打ち合わせの場などで発言を控えるようになります。会議で発言する人が特定のメンバーに偏っている状況や、会議中に沈黙が続くような状況は、まさに組織全体で対人リスクが高まっている証拠といえるでしょう。
また、対人リスクは、組織の「問題解決能力」を低下させます。問題が発生した際に、それを指摘すれば、周囲から反感を買うのではないか、あるいは、自身の評価が下がるのではないかという不安から、誰も問題提起をしなくなる可能性があります。これにより、問題が放置され、悪化の一途を辿る、あるいは、問題を解決するまでに大きな時間を要し、組織全体として大きな損失につながる危険性があります。
さらに、対人リスクが高い組織では、メンバーは、本来の業務に集中することができず、上司や周囲の顔色を伺いながら仕事をするようになります。上司の機嫌が良いか悪いかを常に気にし、ネガティブな情報の報告を躊躇したり、発言を控えることは、組織全体の生産性を大きく低下させる要因となります。組織全体が、対人リスクに過度に反応することで、無駄な行動や非効率的な業務プロセスが蔓延し、組織全体の運営効率が著しく低下してしまうのです。
対人リスクの潜在的な形成要因:無意識の言動と文化的背景
対人リスクは、多くの場合、無意識のうちに形成されています。例えば、組織において役職を持つ人は、自身が評価者という立場にあるというだけで、無意識のうちに周囲に対人リスクを与えてしまっている可能性があります。
役職者は、その権限の行使によって周囲のメンバーに圧迫感や威圧感を与え、発言を抑制させている可能性があります。また、上から目線の話し方や、高圧的な態度、感情の起伏を露わにする言動なども、周囲に威圧感を与え、対人リスクを高めてしまう要因となります。
特に、評価者の立場にある人がこのような言動を繰り返すと、周囲のメンバーはますます萎縮し、率直な意見を述べることができなくなってしまいます。さらに、日本の伝統的な縦社会的な文化も、対人リスクを生み出す温床となっている可能性があります。年功序列や上下関係を重視する文化は、立場が上の人に対して意見を言いづらいという風潮を助長し、結果として組織全体で対人リスクを高めてしまう可能性も否定できません。
対人リスクを克服するための具体的アプローチ:関係構築とコミュニケーションの改善
対人リスクを軽減し、より健全な組織環境を構築するためには、具体的なアプローチが不可欠です。まず、日頃から積極的に雑談などのコミュニケーションを通じて、メンバー同士が互いに話しやすい、安心して意見を共有できる関係性を築くことが重要です。メンバー同士が親近感を感じ、お互いを尊重する関係を築くことで、対人リスクは大幅に軽減されます。
また、誰に対しても丁寧な言葉遣いを心がけることも大切です。丁寧語で話すことは、相手を尊重する姿勢を示すとともに、互いを対等な立場で尊重するコミュニケーションを可能にします。
さらに、エモーショナルインテリジェンス、すなわち、自分自身の感情を正確に理解し、他者の感情を理解する能力を向上させることも重要です。自分の感情が相手にどのような影響を与えるかを理解し、感情を適切にコントロールできるようになることで、周囲に不必要な対人リスクを与えることを避けることができるようになります。
また、曖昧な伝え方を避け、自分の考えを具体的に伝えることも効果的です。曖昧な表現は、相手に不信感や不安感を与え、対人リスクを高める可能性があり、具体的な伝え方は相手に安心感を与え、対人リスクを軽減します。
そして、評価や評論ではなく、自分の意見や感想を伝えるように意識しましょう。「あなたはこうだ」というような、相手を主語にした伝え方ではなく、「私はこう思う」というように自分を主語にした伝え方をすることで、相手は心理的に圧迫感を感じにくくなります。
ソーシャルキャピタルの重要性:対人リスクと組織の成長
組織の成長を考える上で、ソーシャルキャピタルという概念を理解することは非常に重要です。ソーシャルキャピタルとは、組織内の人々が互いに協力し、能力を発揮することによって、組織全体の効率性を高め、新たな価値を生み出すという概念です。良好な人間関係を基盤とした、組織内の信頼関係、協力体制、情報ネットワークなどが、ソーシャルキャピタルを構成する要素となります。
対人リスクが高い組織では、メンバー同士の協力体制が損なわれ、情報共有も滞るため、ソーシャルキャピタルが低下してしまいます。結果として、組織全体の効率性は低下し、創造的なアイデアも生まれにくくなり、組織の成長は停滞してしまうでしょう。
逆に、対人リスクが低い組織では、メンバー同士が互いの強みを活かし合い、自由闊達に意見を交換できるため、ソーシャルキャピタルが高まり、組織全体の生産性やイノベーションを促進することができます。対人リスクの軽減は、ソーシャルキャピタルを高め、組織を成長軌道に乗せるための重要な戦略であると言えるでしょう。
まとめ:組織の成長を牽引する、対人リスクへの意識
対人リスクは、組織の生産性を阻害する、非常に深刻な問題です。この問題を放置することは、組織の成長を鈍化させ、競争力を失うことに繋がります。組織のリーダーは、対人リスクの存在を認識し、その軽減に積極的に取り組むことで、組織の活性化と持続的な成長を目指すべきでしょう。
組織文化の変革には時間と努力を要しますが、メンバー一人ひとりが対人リスクを意識し、互いを尊重し、安心して意見を述べ合える環境を構築していくことが、組織を成長させるための不可欠な要素となるでしょう。対人リスクへの取り組みは、単に組織の効率性を高めるだけでなく、メンバーの心理的な健康も守り、組織全体がより健全な状態へと進化していくための重要な戦略と言えるでしょう。
人事の視点から考えること
人事の視点から、この「対人リスク」について考察し、人事としてどのように取り組むべきかについて考察します。
1. 人事戦略における対人リスクの重要性:採用から育成、組織文化まで
従業員の心理的安全性を確保し、組織全体のパフォーマンスを最大化することは、最重要課題の一つです。その上で、見過ごされがちなのが「対人リスク」という概念です。対人リスクは、従業員個人の心理状態に影響を与えるだけでなく、組織全体のコミュニケーション、創造性、ひいては生産性にまで影響を及ぼす、組織運営における根本的な問題です。
採用段階から、対人リスクを意識した戦略を立案する必要があります。採用選考では、候補者のコミュニケーション能力や協調性を評価するだけでなく、心理的安全性の重要性を理解し、対人リスクを低減できるポテンシャルを持っているかを見極める必要があります。
また、入社後の研修プログラムでは、対人リスクの概念を理解させ、良好なコミュニケーションスキルや、感情的な知性(EQ)を向上させるためのプログラムを導入すべきです。
さらに、人事評価制度においても、個人の業績だけでなく、チームへの貢献度や周囲のメンバーとの協調性を評価に含めることで、対人リスクを低減するような行動を促進させる必要があります。
2. 人事制度における対人リスクの考慮:評価制度とフィードバック文化
人事制度、特に評価制度は、従業員の行動やモチベーションに大きな影響を与えます。対人リスクが高い組織では、評価が「減点主義」になりがちで、従業員は自身の短所ばかりを意識し、積極的に行動することが難しくなります。
評価制度を「加点主義」に転換し、従業員の成長を支援し、長所を伸ばすような評価基準を策定する必要があります。また、評価面談は、単に評価結果を伝える場ではなく、フィードバックを通じて従業員の成長を促し、対人関係の改善を促進する場として活用すべきでしょう。フィードバックは、具体的な行動や事例に基づき、建設的でポジティブな言葉で行う必要があります。一方的な評価ではなく、対話を通じて従業員の意見や考えを尊重し、今後の成長に向けたサポート体制を構築することが重要です。
さらに、多面的な評価制度を導入することで、従業員は、他者からのフィードバックを通じて、自身のコミュニケーションの癖や対人関係における課題を客観的に把握することができます。
3. 研修と育成を通じた対人リスクの低減:コミュニケーション能力とEQの向上
対人リスクを低減するための研修プログラムを積極的に展開すべきです。研修プログラムでは、アサーティブコミュニケーション(自己主張と他者への配慮を両立させるコミュニケーション)スキルや、傾聴力、非言語コミュニケーションなど、効果的なコミュニケーションスキルを向上させるためのトレーニングを行うべきです。
また、感情的な知性(EQ)を高めるための研修も重要です。従業員が自身の感情を理解し、適切にコントロールする能力を向上させることで、感情的な対立や摩擦を未然に防ぐことができ、より建設的な人間関係を構築することができます。
さらに、多様な価値観や文化的背景を持つ従業員が互いを理解し、尊重し合えるようなダイバーシティ&インクルージョン研修も、対人リスク低減に有効な手段です。チームワークやコラボレーションを促進するための研修や、ワークショップを定期的に開催することで、従業員間の信頼関係を築き、心理的安全性を高めることができます。
4. 組織文化の醸成:心理的安全性を高めるリーダーシップ
組織全体で対人リスクを低減し、心理的安全性の高い組織文化を醸成するための活動を積極的に行う必要があります。そのためには、まず、リーダーシップ開発に力を入れるべきです。
管理職研修では、メンバーの意見を尊重し、フィードバックを適切に行い、心理的安全性を確保できるようなリーダーシップスタイルを育成する必要があります。リーダー自身が、メンバーに対してオープンで誠実な態度で接し、失敗を恐れずに挑戦できる環境をつくることが重要です。
また、組織全体でコミュニケーションを促進するための施策を実施する必要があります。例えば、部署を横断したチーム編成や交流会などを企画し、組織全体の連携を強化すべきです。さらに、従業員が安心して意見や提案を述べることができるように、匿名での意見箱や相談窓口を設置することも有効です。
5. 対人リスクモニタリングと改善:従業員サーベイとデータ分析
定期的に従業員サーベイを実施し、組織内の対人リスクの状況をモニタリングする必要があります。サーベイでは、心理的安全性、コミュニケーションの円滑さ、チームワークの状況など、対人リスクに関連する項目を詳細に分析し、組織における課題を特定する必要があります。
また、サーベイ結果だけでなく、離職率や従業員のメンタルヘルスの状況など、定量的なデータも活用し、対人リスクが組織に与える影響を多角的に分析する必要があります。分析結果に基づき、対人リスクが高い部署やチームを特定し、具体的な改善策を講じる必要があります。対人リスクを可視化し、その改善に取り組むことで、組織全体のパフォーマンスを向上させることができます。
6. 人事部門の役割:対人リスク低減の推進役
人事部門としては、対人リスク低減を組織全体で推進する役割を担う必要があります。対人リスクは、単に個人の問題ではなく、組織全体の問題として捉える必要があります。人事部門は、組織文化の変革をリードし、対人リスクを低減するための施策を積極的に展開することで、従業員のエンゲージメントを高め、組織全体の生産性を向上させることに貢献することができます。対人リスクへの取り組みは、組織の成長を加速させるための重要な投資であると認識し、人事部門は戦略的に取り組んでいくべきでしょう。
これらの視点を踏まえ、対人リスクの低減を組織全体の課題として捉え、戦略的な取り組みを進めることで、従業員が安心して活躍できる、より健全で生産性の高い組織を構築していくことができるでしょう。
「対人リスクと心理的安全性」のイメージです。
左側では緊張感のある会議室の様子が、中央では不安を象徴する影が、そして右側では心理的安全性が確保された明るい会議室の雰囲気が表現されています。心理的安全性の欠如がもたらす問題点と、その克服によるポジティブな効果を視覚的に示しています。
左側の暗い影が、徐々に右側の明るい場面へと変わっていく構図が、組織の変革と成長を象徴しています。柔らかな色調と温かみのある筆タッチが、テーマの深刻さを和らげながらも強く訴えかけるデザインになっています。