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【書籍】新1万円札の肖像・渋沢栄一ー『致知』2022年3月号総リードを再読
2024年7月3日、40年ぶりに1万円札の肖像が変わりました。明治から昭和にかけ、近代日本を支えた人物の一人である渋沢栄一です。
渋沢栄一は、致知2022年3月号(特集「渋沢栄一に学ぶ人間学」)においてまるごと取り上げられています。この機会に、全体を再度見直そうと思っていますが、まずは致知・藤尾秀昭氏による総リードを読み返して、自身の立場で改めて考えてみました。
幼少期と青年期:商才と学問の融合
渋沢栄一は1840年、武蔵国血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豊かな農家に生まれました。彼の父は藍玉の製造販売と養蚕を営む豪農で、幼い渋沢は父の仕事を手伝いながら商売の才覚を磨きました。一方、幼少期から漢籍に触れ、特に四書五経を深く学ぶことで、彼の視野は単なる商売を超えて、国や社会全体へと広がりました。
23歳の時、渋沢は高崎城襲撃と横浜焼き討ちという大胆な計画を企てます。これは尊王攘夷の思想に駆られた行動でしたが、親族の説得により未遂に終わります。その後、京都へ逃れ、そこで出会った一橋慶喜に仕えることになります。
一橋家での活躍と西洋文明との出会い
慶喜が将軍に就任すると、渋沢は慶喜の弟、徳川昭武に随行してパリ万国博覧会へと赴きます。この滞仏2年間で、渋沢は株式会社や銀行制度、さらには下水道に至るまで、西洋文明のあらゆる側面を貪欲に吸収しました。この経験は、彼が帰国後に日本の近代化を推進する上で、計り知れない影響を与えました。
渋沢は西洋で学んだ知識と経験を活かし、株式会社制度を導入し、数多くの企業の設立に関わりました。第一国立銀行(現・みずほ銀行)の設立はその代表例であり、日本の金融システムの基礎を築きました。
「忠恕」の心と人間関係の重視
渋沢は生涯を通じて「忠恕」の心を大切にしました。これは、真心を持って物事に取り組み、他者を思いやるという孔子の教えです。彼は常に相手の立場に立って考え、誠実な態度で接することで、多くの人々から信頼と尊敬を集めました。
栄一の『実験論語』には歴史上の偉人の名が頻繁に出てくる。そういう人たちとの交友に恵まれた人生であり、その人たちから学ぶことも多かったに違いないが、栄一が生涯の師と仰いだのは、何と言っても孔子その人であった。特に孔子生涯貫いたという「忠恕」(物事に真心を尽くし、人を思いやる)を、栄一もまた死ぬまで貫こうとしたのではないか。
また、渋沢は人間関係を非常に重視しました。彼は多くの人々と交流し、その中から常に学び続けました。歴史上の偉人たちの伝記を読み、彼らの生き方から多くの教訓を得たと言われています。彼にとって、人との出会いは自己成長の源泉であり、新しい価値を生み出す原動力でした。
晩年と後世へのメッセージ
81歳という高齢にもかかわらず、渋沢は反日感情が高まるアメリカへと渡り、日米親善のために尽力しました。彼は相手の心に寄り添い、誠意を持って対話することで、敵対心を和らげ、相互理解を深めることができました。
晩年、渋沢は「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を尊ぶ」という言葉を残しました。これは、人間も太陽のように、晩年になるほど輝きを増し、周囲を照らす存在になるべきだという教えです。渋沢自身、その言葉通り、晩年まで精力的に活動し、多くの人々に影響を与え続けました。
渋沢は、単なる実業家や思想家ではなく、日本の近代化を牽引したリーダーであり、同時に人間としての在り方を示した模範でした。
彼の生涯は、私たちに「忠恕」の心と人間関係の大切さ、そして生涯を通じて学び続けることの重要性を教えてくれます。彼の残した言葉と行動は、時代を超えて、私たちの人生を豊かにするためのヒントを与えてれるものと思います。
改めて、渋沢栄一からの人事としての学び
渋沢の思想や行動は、現代の人事においても多くのヒントを示してくれると感じたところです。いくつか挙げてみたいと思います。
1. 「忠恕」の心を企業文化に根付かせることの重要性
渋沢の根幹を成す「忠恕」の精神は、現代の企業文化においても重要な価値観です。「真心をもって物事に取り組み、他者を思いやる」というこの考え方は、社員同士の信頼関係を築き、より良い職場環境を創造するための基盤となります。
2.人材育成と自己成長の支援
渋沢は生涯を通じて学び続け、多くの人々との交流から自己成長を図りました。現代の企業においても、社員の成長を支援することは、企業全体の競争力向上に不可欠です。
ビジネススキルだけでなく、リーダーシップ、コミュニケーション、問題解決能力など、多岐にわたる研修プログラムを用意する、また、個人のキャリアプランに合わせた研修プランを提案し、社員の自主的な学習を促すこともよいでしょう。自己啓発支援なども重要です。
3.組織内外のネットワーク構築
渋沢は、人とのつながりを非常に大切にしました。現代においても、社内外の人脈は、新たなビジネスチャンスを生み出すだけでなく、個人の成長にもつながる貴重な財産です。
4.長期的な視点での人材育成と多様なキャリアパスの実現
渋沢は、「天意夕陽を重んじ、人間晩晴を尊ぶ」という言葉を残しました。これは、人間も太陽のように、晩年になるほど輝きを増す存在になるべきだという教えです。企業もまた、長期的な視点で人材を育成し、社員が年齢を重ねるごとに、より高い価値を発揮できるような環境づくりが求められます。
管理職だけでなく、専門職やプロジェクトリーダーなど、多様なキャリアパスを設計し、社員が自分の強みや興味関心に合わせてキャリアを選択できる環境を整えることも重要でしょう。
また、経験豊富なシニア層の知恵やスキルを活かせるようなプロジェクトやメンター制度を導入、また、定年後の再雇用制度を充実させ、シニア層の活躍の場を広げることも一手です。
渋沢の思想は、現代の企業経営や人事戦略においても多くの示唆を与えてくれます。彼の教えを参考に、社員一人ひとりの能力を最大限に引き出し、企業全体の成長につなげることが、人事の重要な役割といえます。そのための多くのヒントが隠されています。