護国寺にて~六地蔵を前に
「ねぇねぇ、この先に行くとねあたしがね、いつも立ち寄るところあるの」
東京に来て数十年を過ぎたというのに、なかなか関西なまりが抜けないその人ははしゃいだ感じで言う。
そこで半ば強引に連れて行かれたのは、地下鉄の駅名にもなるくらいの名刹だった。
私は、関西なまりは嫌いではない。
たとえば聞き取れないくらいの早口な、いわば「大阪のおばん」みたいなノリがかなり心地よいのだ。
私の育った北国は、どちらかというと言葉は曇徴だ。それに比べて軽快なこの言葉遣いはやたらと心地よく耳に入ってくる。
ここは護国寺、五代将軍徳川綱吉が、生母である桂昌院の菩提を願って建てた寺。これだけの都会の中にあって。これだけの静謐なたたずまいを保っているのは、さすが首都の懐の深さを感じる。
本尊の「如意輪観音」は、さすがに権力者の持仏としては確かに相応しく、納経帳にいただいた印や書もかなりの風格があった。
「ねえ、あたしのいつもの散歩道行かん?」
彼女が目指す先は、山門から少し横に外れた墓地への通路だった。
「あ、待って。」
彼女が足を止めた場所の入り口に、かなり精緻に形作られた六体の地蔵の石仏があった。そしてこの道すがらに、こういう小さな石仏が草むす中に溶け込むようにして佇んでいた。そしてその先に彼女が目指す場所があるという。
彼女はまず六地蔵に静かに手を合わせた。そしてさらに奥へと進む。
考えれば、都会にあってこのようにしゃれた散歩道を持っている。そんな彼女が羨ましくも思えた。
やがて小さな祠の前に出た。彼女は手慣れた風に、その祠の扉の錠を開け、
「ひとこと地蔵って言うの。」
そう言って、彼女は手を合わせ、なにやら願っているようだった。私は・・といえば。そうか、なんとなく漠然とあって、絞れないなぁ・・。そんなことを思った。
その先は行き止まりだった。相変わらず草むす中の石仏を尻目に、また六地蔵の前に来た。
その遠景には瀟洒な多宝塔が見える。考えれば徳川将軍家の菩提寺は密教系だ。その中の六地蔵。
そうか、この寺の目的は「救済」なのかもしれない。そのシンボルが「如意輪観音」なのだ。
観世音に限らず、地蔵はもっと庶民に身近な救済の存在だ。
三界萬霊、という仏教の言葉がある。
三界とは、「欲界」「色界」「無色界」の3つをいう。そして私たちが住む世界とはまさに「欲界」であり、これが六道輪廻と呼ばれる世界だというのだ。この世界は、地獄から餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道で、ひとは、このどこかに生まれ変わるというのだが、そんな単純なものではなく、仏教では、人そのものが「六道」にあるというのだ。
つまり、六道輪廻という考え方は、仏教においては人の生まれ変わりの繰り返しというものではなく、人が生きている中において「六道輪廻」の中に生きているということなのだと言っているのだ。
すなわち、この世界(人生)にいる私たちというのは、つねに「迷い」の中にいると言うことなのだ。ひとは、生きている限り、なかなかこの輪廻からは抜け出せないというのが本当だろう。なんせ、高貴で尊いとされる「天」すらも、六道の迷いの中にあるというのだから仏法は奥が深い。
死んだ人が「六道」から離れるという理屈はこれでよくわかる。ただ、六道輪廻は「生まれ変わり」を意味するものではない。
つまり二度と同じ組成の「人間」が今後生まれる可能性は皆無である。
ましてや、生まれるのも、心を作る他との関わりの確率を考えたら、「同じ人格・同じ人」が今後生まれる確率は、ゼロであることは自明だ。だから、自分の前から消えてしまった人は、今後一切の「縁」を持ちたくとも持てない存在になったことを痛感すべきだろう
だが、それは一元的な見方に過ぎない。つまり、三界における自分以外のものは、すべからく自分の心によって分別されている対象であるからだ。なぜなら、自分の存在すら他との相対によって認識している状態に過ぎないからである。
だから、目の前からその人の存在がなくなったとしても、その人との縁や、その人との関わりで認識できた自分の存在は、自分というものがある限り永遠に続いていくものなのだ。そして、自分も他人との縁や他人の認識によってその存在が永劫に続いていくのである。供養というのはまさにそんな合理的な意味合いを持つ。
この人との不思議な縁で、今ここにいる自分をまさに実感できる。
「ねぇ、次は鬼子母神はん行くよ~」
無邪気な彼女の呼びかけに、笑顔で返せる自分が今は至福だ。
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