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漂泊幾花 第2章 古都の桜花

7 命のゆくえ 

  その夜は、咲は別人のような「雌」の姿を僕にぶつけてきた。
僕はただそれにながされていた。
やがて、気を戻した咲は、丸い目をして辺りを見回したが、ぼくの顔を見るなり、真っ赤な顔をして僕にしがみついた。

「やだ・・・耕作・・・恥ずかしい。」

 僕は妙におかしくなった。
咲はあの妖しい眼から一転して
おびえる猫のような顔をしていたからだった。

「・・・恥ずかしくないって言ったのは誰だ?」
「耕作のいじわる・・・・」

 咲は裸のまま僕にしがみついた。
ものすごくいとおしく感じた。
静かに時が流れていった・・・。

「・・・先輩・・。」
「・・・うん・・?」
「先輩の命の素・・・たくさんあたしに入っちゃったね。」
「なに?」
「この子たち、一体どこに行くのかなってふっと思ったの・・あたしのおなかの中にいるのよね。でも、どれだけの確率で命になるのかなって・・。」

 僕は何とも言えない感情を持った。
というのは、僕は咲がかつて僕に告げたように、
咲の命を繋ぐと言うことを自然と意識していたからだった。

 それはいわば、今日、
嵯峨野の墓の中に眠る咲の母や浦上教授の命を繋ぐことでもあり、
また、僕の父や母の命を繋ぐことでもあったからだ。

 僕はそれまで一種荘厳な気持ちを持って咲と和合していたのだが、
咲はそれを完全に否定しきっていた。
と言うより、咲自身が持っていたであろうその感覚を自ら叩きつぶし、
対極にある愛欲というものを自ら絶対肯定しきってしまった。

「欲望」そのものに優劣があるのか、何がいい欲で何が悪い欲か、
そもそも欲そのものが「実体としてそこにあるのか」
なんだかよくわからないままに、僕は心をさまよわせていた。

 もし、この段階で彼女が命を宿したなら、
はからいを一切なくし、ただ、互いに愛欲に死ぬことのみを求めて和合した結果にできた子供と言うことになるだろう。

 彼女は僕の持つ分別の心をどこかで完全に叩きつぶしたのだ。

「耕作・・。あたし、なんとなく、近いうちにあなたの命を宿すような気がするんだ。」
「・・・え・・?」
「命になり得なかった、たくさんのあなたの命の素がそう告げるのよ。」
「・・・・・。」

 僕は何も言えなかった。
多分、咲もはからいがない末に
自然の摂理で宿す命が欲しかったのだろうと思ったからだ。
いや、現にそうやって宿る命こそが最も自然であり、
そういう命こそこの世に出現すべきであると考えていたからだ。

 僕と咲の子供は、互いの命の素材を持って誕生するべきもので、
また、そうでなければ次代への命の流れが繋がっていかないからである。

悠久な時の流れの大河の一滴である事を
僕たちは自覚して行かなくてはならないからだ。

「女の子が産まれると思うわ。」
「おれは男の子の方がいいなぁ。」
「ううん、ゼッタイ女の子が産まれるわ。」
「賭けようか?」
「あはは、あなたの負けに決まってる。だってあたしが産むんだもの。あたしが一番わかるに決まってるじゃない。」
「そんなバカな話があるか・・。」
その夜は、そんな他愛のない話で二人は夜を明かした。

 翌日、僕たちは長崎行きを待っていた。
京都駅のこぎれいなコンコースにあったベンチに腰掛けて、
僕たちは何を話すでもなく、ただ共通の目的の中にいた。

それは、長崎への列車の発車時刻を待つということだった。
京都の町は二度と来ることはないのではないか。
僕はふとそんな気になっていた。

それは咲も同じではないかと何となく感じていた。
咲にとっては生まれ故郷でもあり、母の墓のあるところである。
それなのに、咲の方が僕の方より強くそのことを感じているような気がしていた。

「なんか・・・来て良かったのか、悪かったのかわからないな・・。」
咲はぽつりとつぶやいた。
「あたしは、初めは来ちゃいけないところだと思ったの。」
「・・どうして?・・・。」
咲は僕の方にちょっと体を寄せて小さくつぶやいた。
「先輩と遇っちゃったし・・・。」
「なんでだよ・・。」

僕は、また咲の冗談ともつかない言葉だと思った。

「先輩と遇っちゃったら、どうしてもお母さんに会わせたくなったの。・・・というか、あたしの全てを見てほしくなったのね。」

 咲はそこでふぅっと溜息をついて、僕の方を見て微笑んだ。
ひどく透明で、消え入りそうな神々しい顔だった。

「だから、行かなくてもいいところに行っちゃったし、出会わなければよかった人にも・・・。」

それは、たぶん伊集院家のことを言っているに違いなかった。
「おじいさまのとこ?」
「・・うん。」

咲はこくんと肯いた。

「長崎に行ったら・・・もっと行っちゃいけないところに行くような気もしてるの。」
「・・・核心に近いからね・・・。」

僕はある意味を持って言った。咲の運命を決めた場所に行くのだから。


「でもね、あのお坊さんに会って、何か吹っ切れたのというか、言葉が刺さったというか・・・。」
「へぇ・・」
「でも、半分なのよ、まだ半分。」

咲は、紙切れを胸に抱きながら、それすらも微笑みながら言った。

「あたしは、神が与えた試練なんだからということを言われて育っていたわ。それが何のためにあるのかは何もわからず、絶対的に神の前で存在するし、甘んじて試練を受け、耐えることのみが神の国に行く道だと言われていたの。だから、神の国に行けるものは、それ相応の試練が必ず与えられるのよ。試練が与えられないものや耐えられないものは神の国にはいけない。」
「うん、たしか先生もそう言ってたような気がする。」

「でも、それってすごく残酷だなぁって思ったよ。だって、神の国なんて、死んだあとじゃないと行けないじゃない。死後に試練に耐えたかどうかを裁かれるなんて全然ピンとこなかったの。」
「わかると言えばわかる気もするけどね・・・。」
「でも、あのお坊さんの一言でね、なんか解った気がするの。それが昨夜先輩とすごしたあたしの姿よ。」

 僕はいつしか、昨夜の咲の妖しい性欲にまみれた表情を思い起こしていた。その顔に比べ、今の顔のとんでもない神々しさはどういうことなんだろう・・・。
昨夜の咲の表情がなかったら今朝の咲の表情はこんなにも光らないのではないかとも感じていた。

「あたしは・・・・。今、どんな顔をしてるかなぁ。」

咲はそうつぶやいてぼくの顔を見て微笑んだ。
「・・・すごく・・」
「すごく・・?」
「言葉にならない・・・。」
「うふふふふ。」

https://music.youtube.com/watch?v=-EKxzId_Sj4&feature=share

咲は納得したように笑った。
「やっぱり本当だった・・・。」

僕は咲が遠くに行ったような気がしていた。なにか、世界がひとつ僕より上に行ってしまっているようなそんな気がしていた。

「だんだん、自分の運命が楽しくなってきたの。先輩の今の顔を見て、あたし長崎に行く決心ついたわ。」
「・・・え?」
「うふふ・・ありがとう・・・。いとしの耕作さん。」

 咲は僕の頬に軽く口づけをした。
僕はなんとなく解り、何となく解らないまま、僕たちは長崎行きの急行に乗るべく、長いホームに向かった。

京都は、まだ花の匂いがあふれていた。古都は、まさに春爛漫・・。

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