漂泊幾花外伝 SPECIAL
咲の覚醒 前編
「御前様、また来ちゃいました。」
咲は京都にいた。
六波羅の古寺の門前に、妙悠御前の姿を見つけ、屈託なく呼びかけた。
御前は 「お?」という顔をして咲を見つけ、またあのしみいるような笑みを浮かべた。
「よう来はったのぅ、必ず来ると思うて、待っとったんやで。」
咲の方が驚いた。
「え?なんでですか?」
「こここ・・・、わしがくだいてやった経の答えを聞いとらんさかいにな。」
「・・はい、そのとおりです。」
「かかか・・、図星やな。」
そう言って御前はぺろっと舌を出した。
「ま、中へお入り、お茶でもどうや。」
「ありがとうございます。・・でも、灌頂堂に入らせていただけますか?。」
「ほう、なにゆえや。」
「もう一度曼荼羅の中に入りたいんです。」
御前は、じっと咲の顔を見て、ほほえんだ。
「ほな、よろし、いこか。」
金剛界の曼荼羅を見ながら、咲は言った。
「御前様、理趣経の『理』は大自然の理ですよね。」
「ほう、そうとばかりは言えぬが、まちごうてはないな。」
「清浄句は、ぶっちゃけ、その理の予告編をあたしたちにぶつけたのかなって・・。」
御前はうんうん、とうなずいた。しかし何も語らず、
「続けなはれ」
とだけ言った。 咲は、曼荼羅に見入りながらつぶやくように言った。
「曼荼羅は、すべてが何かの関わりで大きな宇宙を作っている。あたしにはそう観じます。すなわちそれが金剛界。もう、真理中の真理。あたしの存在も含めて、ずうっとそこにある見えないものだけど、ちゃんとあるものなのかな。」
「うんうん・・・。」
御前はまだ何も語らない。咲はかまわず、ありったけを話した。
そこまで話した後で、御前は灌頂堂の一角を指さした。そこには大きな円が描いてあり、その中に梵字が一文字書かれてあった。
「それは、「あ」と読むのや。というか、「あ」とは、「仏そのもの」という気持ちで観じよ。そのまぁいわば象徴、というわけなのじゃ。」
「はい。」
「咲ちゃん、時間あるか?」
「はい」
それを聞くと御前は、咲にそこに座るように促した。咲は言われるがままにそこに座った。
「正座せんでもよろし、楽に座りなはれ。ただ、仏として「あ」を念いながら、わしの言う事をじっくりと修しなはれ。できてもできなくてもええ。」
「はい」
そこで、御前は咲の真ん前でこう告げた。
「咲ちゃん、あんた、仏法習うてるんやったら、「不偸盗戒」いうのはわかるな?」
「はい、ものを盗んではいけない。」
「せや、では、新幹線の時間は何時や。」
「はい、うちまで帰れる最終が9時。」
「お寺はその時間はもう皆寝とる。かかか。」
「うふふ」
御前は、咲にゆっくりと告げた。
「せやな、時間が来てわからなかったら、また何度でも来るがよろし、今わかったらそれもよし、とにかく、そこに座って、阿字を眺めてよし、目をつぶってよし、安座よし、結跏趺坐よし、とにかく座り、わしの課題を観じてみよ。」
「その課題は何ですか?」
御前は、まぁ座れ、という仕草をした。咲は半跏趺坐で座った。少し前にならった座り方だ。
「よろし、しかし、その形に囚われたらいかんぞ」
「・・・・。」
「では言うぞ、自分の物でなければとっちゃあかん。このことを実践するには、どうしたらいいのか。・・・や。」
「・・・わかりました・・。」
咲は、静かに座った。
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