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浦上咲を・・かたわらに ι (iota)

Episode9 尾道にて


 「せんぱい、尾道行こうよ。」

 咲が唐突にそう言いだした。またいつもの彼女の気まぐれが始まった。

「何で尾道なんだ?」
「特に意味はないわ。うふふ、いつものことでしょ?先輩。」

 こういいだせば、咲は一歩も譲らないのは解っていた。ただ、意味はないと言うものの、必ず意味があるから僕には何も言うことはなかった。

「・・意味と言えば・・。」

 咲は少しうつむき、再び一流の上目遣いで僕をじっと見つめ、ややほほえみを浮かべた顔で言った。

「何のゆかりもない土地だから行きたいの・・・。」
「・・なるほど、咲らしいや。」

 僕は半ばあきれたような気持ちにもなっていた。
考えてみれば、僕も 尾道は初めてだった。どんな街なのかも全く予想もつかない場所だった。しかし新幹線を使えば、日帰りすらもできそうな街でもあった。

 次の日の早朝、僕たちは自由が丘から東京駅を目指して出立した。

  新幹線が博多まで通じたのはつい最近だった。その速さは僕たちの旅の感覚をある意味麻痺させていた。あんなに遠くに思っていた京都などは、それこそあっという間についてしまった。
 聞けば、東北方面にも新幹線建設は進んでおり、計画では海を渡って北海道まで新幹線が通じるという・・。まるで夢のような話が広がっていた。

数時間のち、まだ午前中に尾道の駅に着いた。

 駅からは坂の下に青い海が見えた。町は山の上の方にどこまでも続いているようだった。汽車の窓から上に覗きあげなければならない感じで町は広がっていた。咲は何故この町におりたかったのか皆目見当がつかないまま、僕たちはこの町で降りた。

「・・・・あぁ・・いい街だわ・・・。」
咲は降りた瞬間にそう言った。

「・・・花の命はみじかくて、苦しきことのみ多かりき。」

 咲は続けてそうつぶやいた。林芙美子の「放浪記」の一節だった。そういえば、ここ尾道は彼女のゆかりの場所であった。僕は、その一節と、咲の今の気持ちがたぶん不思議な感じで同期化(シンクロ)しているのだろうと察した。命の分量を自覚した者だけが持つ迫力というか不思議な感覚なのだろうと僕は思っていた。

「ダメよ・・・。」

 咲はぼくの顔をのぞき込んでそう言った。
「先輩・・、あなた今たぶん悲劇の主人公(ヒーロー)になろうとしてない?」
「・・・え?・・あ、いや・・。」
完全に見透かされていた。
「そうよね、最愛の恋人にまもなく死なれる・・・。そんな、かっこいいヒーロー・・・・。」
「さ・・咲・・。」

 僕は思わず声をあらげた。
「大丈夫よ、しばらくは死なないよ、あたしは・・。」

 そして、又いつもの悪戯っぽい目で僕を見上げながら
「そう簡単に悲劇のヒーローなんかにはなれないよ!先輩。・・・簡単に殺すなよなぁ・・人のこと。」
「・・・・・。」
「かえって、命のカウントダウンもらった方がいい場合もあるんだよ。」
「・・・え?・・・」

 そこで咲はふうっと溜息とも深呼吸ともつかない間を作り、背後の千光寺山に向かうロープウェイに見入った。そこでまたぼくの顔をのぞき込んで、くすりと笑い、
「先輩、あれ、乗ろ。」
と僕の手を引いた。

千光寺山は思ったよりも高い山だった。

、そこからの風景は何となく懐かしいような不思議な光景だった。山と海と町がある風景はやはり懐かしく、尾道はそれだけで、今まで住んでいた町だったようなそんな不思議な気持ちがしていた。

「・・・いいなぁ・・・。」
 千光寺山の頂上からの瀬戸内の風景を見つつ、僕は思わずつぶやいていた。

「先輩ってさ・・・・。」
「何?」
「南国が好きだよね、あったかい風景が・・・。」
「何で解る?」
「だって、先輩の部屋はカリブ海とか沖縄のポスターばかり貼ってある・・それに、先輩の部屋に行ったら沖縄音楽ばっかりかかってるしね。」
「ああ・・そうか・・・。」
「あたしは、どっちかと言えば北国が好きだな。」
「へぇ・・・。」

「北国のね、夏が好きなの。」
「どうして?」
「ふふふ・・・先輩が南国に憧れる気持ちとシンクロしてるよ。」

 咲はまたなぞめいた言葉を言った。どうやら彼女はこういう問答が好きなようだ。瀬戸内の春の日差しは否応なしに僕たちに降り注いでいた。

「答に困ってるな?・・・先輩?」
咲はまた悪戯っぽく笑った
「ねぇ・・・どうして好きなんだと思う?」
「・・・・・・・。」

 僕は返答にますます窮した。咲は容赦なくたたみかけるような深い瞳をじっと僕に向けて答を待っているのだ。
「先輩・・・あたしがなぜ好きなの?」

 僕は、どうしようもなく答に困った。言葉では説明できないからである。
「どうしてかな・・・・?」
 咲はそこで初めてほっとするようなほほえみを見せて、やがてぶつぶつと海を見ながらつぶやいた。

「・・・仏の知見は考えるのでない、観じるのである・・。」
「・・・・・・・。」

 僕はその時、咲が「観世音菩薩」に見えた。

「先輩が、この上もなく可憐なあたしが好きなら、そのとおりだし、話すのが面白いあたしが好きならそのとおりだし、この上もなく淫乱なあたしが好きならそのとおりなのよ。」

 僕は正直言って驚いた、咲は全てそのとおりだからだ。

 従って、咲に対する僕の思いは全く僕自身の心のあり方の投影であり、咲はそのままネガティブな鏡のように僕にそのまま僕の姿を返しているような気がしないわけでもなかった。恋愛とは、そもそもそういうものであるのかも知れない。僕は本心でそう思った。

僕は、心のかたちが言葉に出来ない・・・。そんな限界にいた。

「先輩って・・・。」
「なに?」
「つくづく、真面目な人なんだって思うわ。」
咲は、僕をじっと見据えながらそう言った。ぞっとするような鋭い目だった。
「もし・・・あたしがとんでもないサタンだったらどうするの?」
「・・・・。」

「神だけの世の中はあり得ないのよ。あたしはサタンがいなければ神の存在はないと思っている。そして、その基本的な単位は人それぞれの心そのものにあるのよ。だから、あたしが悪魔(サタン)なら、先輩はあたしを否定することでたぶん神(ゴッド)になると思うわ。」

 僕は返す言葉もなく咲を見つめた。ただ、言えることはたとえ悪魔(サタン)であったとしても、たぶん僕はそのまま咲と共に悪魔(サタン)になるであろうと言うことだった。


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