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 そもそも「供養」とは、サンスクリット語のプージャー(pūjā)またはプージャナー(pūjanā)の訳で、仏、菩薩、諸天などに香、華、燈明、飲食などの供物を真心から捧げる

 とあります。まぁ、当初は修行者に施す事をそう言ったのだととれます。いわゆる「布施」というものでしょう。
 
 さて、翻ってあたしたちの周りにおいて、「供養」とはどのようなことを指すのか。改めて考えてみるのも良いかもしれません。

 一つに考えたのは「供養」に作法とか形式があるのか?という疑問なんですな。
 真っ先に思い浮かぶのは、「死者」に対する供養なのかな。そう思う人は多いでしょう。まぁ、「先祖供養」なんてのも、言ってみれば死者への供養です。

   日本には古くから「祖霊信仰」という風習がありましたが、それが「氏神先祖」という形で明確化したのは、中国由来の儒教に基づく思想と言えるでしょう。
 ところが日本における「祖霊」とは一族というものではなく、そこに住む共同体のものである傾向があったようです。
 すなわち「むらの神」という位置づけです。

 そもそも、生活者にとって、「死」は忌み嫌うものです。ですからこの現象を共同体ムラにとっての「穢れ」という扱いにしたわけです。それが時代が進むと「死」は現世の煩悩のもととなる肉体から離れた存在で、すなわち解脱した「仏」であるという信仰が生まれるわけです。
 ですから、「仏」である死者に対する「供養」が必要になるわけです。
 この論法から、お供物とか供養といった風習が生まれてくるのは、ごく自然なことなのでしょう。

 以前もお話ししましたが、庶民の葬儀に「仏教」の儀式が取り入れられたのは、幕府や公家といった経済的基盤を持たない曹洞宗の、言ってみれば宗派経営の戦略でした。江戸時代の寺請制を受けて、各宗派もこれに倣った結果生まれた供養の風習です。

 たとえば、浄土真宗の始祖である親鸞は、その弟子唯円が「語録」として著した「歎異抄」によると、

 「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず
(親鸞は父母の追善供養のために、一度も念仏をしたことはない)

歎異抄 五

 と言っています。そのわけは、父母の追善のために念仏するより、己が早く仏になって、この世一切の存在を救うべきである。そのために念仏は存在するのだ。と、大乗仏教の根本を述べています。このことは、供養は「ムラ」で行うのだという考えが根底にあるのかもしれません。

 ですから、「供養」と仏教は別物であって別物でない。そんな関係があるのでしょう。ですから、何宗はこう、とか何宗はこの経だとか、本来どうでもいいことなのかもしれません。

 現代のように、共同体より個人が中心になった社会においては、形式は問わず、たとえば、時々陰膳してみたりするなど、ただ、亡くなったものに対しておのれが「忘れない」事ではないかと思うのです。

それがいわゆる「供養」と呼べるのかもしれませんね。


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