さて、いざ柴又帝釈天へ ~前編
京成線高砂駅から金町線に乗り換える
考えればこの金町線という区間も不思議な存在だ。
途中駅は柴又のみ。
昨今相互乗り入れがほとんどの中にあって、この線のみが「独尊」で日々往復を繰り返している。
「世の中がどう変わろうとも、肝心なところは変えちゃなんねえんだぜ」
なんかそんな声が、どこかから聞こえてきそうな感じがするのだ。そして唯一の途中駅の「柴又」に着いた。
「うわぁ、なんか別世界ね。」
彼女は相変わらず少女のような反応を示す。そういうひとときに、私は一時歳を忘れるのだ。それはたぶんお互い様なのかもしれないが。それもまたいいものだ。
柴又の駅を降りたら、真ん前がもはや帝釈天の参道だ。まるでタイムスリップしたような昭和の雰囲気であふれる。
「うわぁ、あたし初めて来たんよ。」
考えれば地元の人間は、意外と近くには来ないものだ。
しかも、東京はあまりにもコンテンツが豊富だから、それは無理もないことなのかもしれない。
今回の旅の第一の目標は、この界隈なのだ。
東京にはいくつもの「顔」がある。そして、その顔は日々変化している。
その昔「不易と流行」という言葉がずいぶんあふれたことがあった。ともに大事な要素だということで使われていた記憶がある。
現在はその「不易」が、どちらかと言えば、「流行」に席巻されているような印象を受ける。最たるものが「再開発」というべきものだろう。
ここ柴又帝釈天は、正式には日蓮宗題経寺という古刹だ。なぜここが「帝釈天」なのかというと、この場所で「帝釈天」の板仏を偶然見つけ、この寺に祀ったことが始まりであるからだという。
寺伝によれば、この帝釈天はたいした御利益があったらしい。
それゆえ、題経寺の本堂と、帝釈天の祀堂は対をなしている。題経寺の住職が、帝釈堂を管理しているという形になる。
「そもそも「帝釈天」って、どういう神様か知ってる?」
私はちょいと意地悪な質問を、かたわらの彼女に問うてみた。
当然ながら、彼女はぷくっとふくれて、私の手の甲をつねった。
「知らんよ、でも御利益あるんでしょう?」
「そもそもね、天部である帝釈天が、本尊並みになっているのは珍しいことなんだよ。」
「へぇ~、なんかわからんけど、ありがたみが増すわね。」
帝釈天とはそもそもバラモン教の神で、「シャクロー・デーパーナーム・インディラ」という名である。
「インディラ」とは天主、もしくは帝王という意味だ。これに「シャクロー」という音訳で「釈」の字をあて、「帝釈天」と漢訳された神で、同じくインドの神である「梵天」と対で胎蔵界の北門を警護しているとされている「天」として位置づけられているのだ。すなわち、めちゃくちゃ強い武神の扱いだ。
そう考えると直接大日如来の門をあずかる、帝釈天の「ご加護」は無敵と言っていい。
それにしても暑い日だった。
帝釈天のお参りを済ませる頃には、二人とも汗だくになっていた。
「ウナギ食べよ。」
「いいね。」
門前の老舗の鰻屋に入った。冷房が心地よい。
この昨今、贅沢は言わない、二人とも「鰻重」は「並」だ。
やがて出された鰻重は、至福の味だった。