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少女漂泊~Monologue by HARUKA β

あたしは、静かに座って
想像してみた。

自分の老いた姿とは・・。
ふと、去年のインターンシップを思い出した。


「今日はよろしくお願いしまーす」

極力「元気に、明るく」だった。
インターンシップという教育課程が始まって、生徒会のメンバーが、まずは「お試し活動」というメンバーに選ばれた。

まぁ、無難を第一と考える先生方なら、これも仕方ないことだろう。

あたしたちがインターンシップに選んだのは、老人介護施設だった。
それも、重度の介護を要する施設を望んだ。

ひととおりの課程を終え、「感想」を書かされた。

ありきたりの、「優等生」な文章をそこに書いた。・・。
でも、NGになるだろう別の感想文も、
あたしは心の中で書いていた。


「そうなんだろうか?」から、はじまる。

人生の終わりを迎える老人たちが、
みな一様のプログラムで動かされて、、
それでいいとされている。

そこに見えるのは、経済的な効率・・。
個々の人生ってどこにあるのか・・。
あたしは「老いる」とは
もっと違うところにあるんじゃないか。
もし自分が老いるとしたら、どうなんだろう。

ものすごい疑問が自分の中にわき上がった。

歳を取ると子どもに返るって言うのだけれど、
本当にそうなんだろうか。
赤ん坊の時に取り替えられるおむつと、
年老いてから取り替えられるおむつ。

取り替えられる当人の心としては、
決して同じものではないと思う。

だけれど、自分では心を殺して、
身体的な赤子になるしかない。

ひょっとしたら、
自分の認知が退化することで、
こういった尊厳の屈辱に
どうにか対処するしかないのかも知れない。

そうやって、今までの自分の人生の尊厳とのバランスを
最終的に精算するのだ。

老いとは、ある意味残酷なことでもあると感じた。
 でも、若くして死なない限り人は老人になる。

いや、昨日より今日は、
あたし自身は「老いている」といえるのかも知れない。

10年前のあたしは、今のあたしのことを
たぶん「おばちゃん」とよぶだろう。

そんなことを考えた。



TO  BE CONTINUE

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