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日本の仏教がお葬式と深い関わりがあるわけを探ってみる その6
法要や先祖代々の墓石は「仏教オリジナル」ではない?
さて、お葬式とはいわば「引導」という、成仏へのチケットを渡すような儀式であると位置づけられます。
むろん、成仏と往生では意味合いが違うので、言ってみれば大学に行くか、社会人になるかの違いかもしれませんね。
しかしながら、どちらも故人が「あの世」において、ブッダになることを望む儀式が、仏式のお葬式であると考えれば、ざっくりとわかりやすいでしょう。
卒業式における校長先生の位置づけが、お坊さんの役回りであると考えれば、もっとわかりやすいかもしれません。
ところで、お葬式の席では、お坊さんが、肉体から魂が離れ、四十九日間は自宅の軒下に居座ってから来世に旅立つと説教するはずです。
ですから、葬儀屋さんのオプションでは四十九日法要までセッティングされていて、この段階でお坊さんによっては「檀家」にならないか?という「営業」を行う方も垣間見られます。
大手の葬儀社では、何年何月何日に「法要」を行う予定表のようなものを作ってくれるところまであります。
しかし、この風習、実は中国道教の中陰説が母体となり、それに仏教の倶舎論を乗せたという形式をとっています。
つまり、四十九日の間に死者の行き先が決められ、(中陰説)、行いの善悪が次の原因を生む(倶舎論)の合作の考え方だと言うことです。
三途の川や閻魔大王の裁きにあうというのも、これが基本になっています。
すなわち、仏式の葬式であっても、このように中国の道教や儒教の儀式の影響が大きく影響しているというわけです。「焼香」という風習はまさに儒教の儀礼です。
しかしながら、日本の葬制は、故人が一足飛びに「ブッダ」となる事になっています。
ですから、「供養」はブッダや仏弟子に行う最大の敬意ですから、その意味を込めて法要を行う。そういうシステムになっているわけです。
なんせ、相手がすでに「成仏」ですから、法要することは、自分にとっても「供養」という御利益があるわけです。
この傾向は江戸時代からありましたが、いまは普通になっているこの「先祖供養」という考えは、実は明治以降に広がった「家制度」が元になっているのです。
しかも「○○家之墓」という立派な墓標ですが、これは明治以降のものであるといえば意外でしょうが事実です。
江戸時代の寺請制の元での墓標は実に質素で、戒名のみの故人墓でした。
多くは白木の柱で、今のような墓石というものは、よほどの金持ちか高い位の武家であり、それも五輪塔のようなもので、「先祖代々」という墓石は存在していませんでした。
江戸時代に建てられた墓石を調査すると、ほとんどが個人墓で、合奏墓もありましたがあくまでも「先祖代々」とか「何々家」という記述もありません。
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規模もごく小さいものですが、特徴的なのは「観音像」がそのまま墓石になっていることが多々みられたことです。
江戸時代の「石仏」はそのまま墓石であったのです。
あたし自身もフィールド調査で石仏の資料を採集した際、ほとんどの場合、その石仏には、いわゆる「墓誌」が刻まれていました。
つまりこの頃の墓石は、あくまでも個人のものであったと考察されます。
では、なぜ今のような「一族墓」に変化したのでしょうか。
こういうところに「歴史探究」の妙があるんですねぇ。