漂泊幾花 第2章 古都の桜花
5 実母の記憶と哀しき芝居
「・・・何?・・・先輩。」
「長崎に行く前に、もう一度、君のお母さんのお墓に行かないか?。」
僕には、ある確信があったのだ。
僕は、咲の「ふじ色の旅立ち」を
なんとしても支援しきらなくてはならなかった。
そのためには、彼女の実の母の人生を
しっかりと心に留め置く必要があると思ったからだ。
そうでなくては咲の出発点がないのだ。
自分の人生の終わりを否が応でも意識しなくてはならない彼女にとっては、どうしてもさけて通れない命題ではないだろうか。
僕はそう思っていたのだ。
(それには、咲の母親の親に、咲の出生以前の咲は如何ならん・・・を突きつけなくては・・・。)
つまり、伊集院江里子自身の人生を、
咲に知らさなくてはならないのだった。
・・・そして、あの老婆は多分咲の母の墓に行くだろう。
それも、今、行っただろうという確信があった。
もし、そこで出会えなければ、咲はいやがるだろうが、
僕だけでも伊集院家に行くつもりでいたのだ。
「ひょっとしたら、もう一泊、京都に泊まることになるかも知れないが、いいか?」
咲は、じっとうつむいたまま黙っていたが、
やがて僕の隣にちょこんと座り、僕の脇腹をこづきながら言った。
「・・・仕方ないなぁ・・先輩は、一度言ったら絶対そうするものね。・・・・つきあってあげるわ。」
そう言って笑った。
まるで人ごとのように言うこの答え方は、咲一流の承諾の仕方だった。
「ただし・・・、一つ条件!。」
「え・・・?何?」
咲は、くすくす笑うと、僕の脇をつつきつつ言った。
「村野純のアパートには泊まらないこと!。」
僕は大笑いした。
知恩院を出て、僕たちはタクシーを拾った。
「大沢池まで・・・。」
そう行き先を告げると、タクシーは、古都の町並みを走り始めた。
「先輩って、京都、何回も来たことあるの?」
「どうして?」
「だって、ものすごく土地勘あるから・・・。」
「そうだな・・・、言ってなかったけど、一浪中に京都にいたことがあるからな・・・。」
「それって・・・、村野さんがらみなの?。」
「いや、ちがうよ。」
僕はそう言った。考えてみれば、僕に純が絡んだとも言えるかも知れないことは、今は咲に話すべき事ではないと僕は思っていた。
・・・考えてみれば、僕の方が咲よりも
ずっとこの街に執着があるのかも知れない、
そんな思いが僕の心をよぎっていた。
咲に会う以前・・僕は京都の女性を愛していた。
(・・・・昔のことだ・・・・・。)
僕は心の中で否定していた。
しかし、そうすればそうするほど思いはもたげてくるものだった・・・。
大沢池は彼女の家のそばでもあった。
それがよけいにそう感じさせているのかも知れなかった。
とっくに忘れてしまった感情がどうしても抑えられなかった。
咲は僕のそういった心の葛藤など知る由もなく
ただ窓の外の景色の流れに見入っていた。
「先輩・・・?」
咲は僕の顔をのぞき込んで怪訝そうに聞いた。
「どうしたの?おっかない顔して・・。」
「・・・え?・・いや、何でもない。」
「・・・変なの・・。」
咲は小さく笑ったが、僕は何となく心の底を見られているようで少し落ち着かなかった。咲の深い瞳は時として僕を緊張させる。
タクシーはやがて大沢池についた。
咲の母の墓のある共同墓地はここから少し山道を歩く。
僕は咲と連れだって、そこに向かった。
「・・・ちょっと、先輩・・・。」
「え・・?」
咲は足を止め、僕をにらむような困ったような顔で言った。
「・・先輩、もういいよ・・。」
「いや、行こう。行かなけりゃならないんだ。咲。」
「・・どうして?。」
「どうしてもだよ。」
「いや・・・、行かない。」
咲はだだをこねた。頑として動こうとしなかった。
僕は余計なことをしたかと少し後悔したが、
どうしても伊集院の家の老婆に会わなければと思っていたのだ。
何の根拠もないが、彼女は当然、咲の母の墓に来るはずだった。
そういう確信が僕にはあったのだ。
(・・・このまま咲は旅人になってはいけない。)
僕はそれのみを考えていた。でなければ僕自身も「旅人」になってしまうからでもあった。僕は咲と共にあろうと考え始めていた。それがこの行動を生んだ。
「・・・あ・・・・。」
咲は一点を凝視した。やはり、咲の祖母は来ていた。
それも祖父とおぼしき人と共に・・・。
「・・おお・・・。」
老人は、咲の方に歩み寄ってきた。
「江里子やないか・・・。江里子。」
老婆があわてて老人を引き寄せながら叫んだ。
「だんさん!違いますえ、この子は・・・。この子は・・・。」
「江里子やろう、江里子や。」
老人は盛んに咲に対し母の名を呼び続けていた。
咲は何も言わずただ黙っていた。
「・・咲や・・・この子は咲どす。だんさん・・・。」
「なんやて・・・?」
「もうええ・・・咲、鹿ヶ谷へ行きまひょ・・・。」
鹿ヶ谷とは、最前に訪れた伊集院家のある場所だった。
老婆は、僕たちを再び伊集院家に連れて行くつもりだった。
そのような経過で再び、僕たちは鹿ヶ谷の伊集院家の前にいた。
「さ・・・あんじょう。」
老婆は僕たちをその邸宅の中に招き入れた。
僕は初めてはいる咲の生まれた家に緊張した面もちで敷居をまたいだ。
咲を見ると、僕以上に表情がこわばり、
しっかりと僕の手を掴んでいるのが解った。
僕はあえてふりほどくでもなく、咲の腕を抱いて、屋敷の奥へと向かった。
「仏間へおいでやす・・・。」
老婆は静かに言った。
・・・・仏壇の奥に咲がいた・・・。
いや、瓜二つではあったが、伊集院江里子、つまり咲の母の遺影だったことは一瞬にして理解できた。
「あ・・・・。」
咲は口に両手を当て、驚いた顔で遺影を凝視した。
「・・・おかあ・・・さん?・・」
「そうどす、あなたのおかんどす・・。」
「・・・え・・・?そんな・・・まるで、あたし・・・。」
「瓜二つでっしゃろ?うち、あなた見て、心臓止まるか思いましたわ。せやから堪忍な・・・。さっきは、あまりに似ていたさかい、うち、つろうて・・・。」
咲は暫くそのままで固まっていたが、やがて、くるりときびすを返して老婆に笑いかけた。
「おばあさま、あたしは、いくつまでここの家にいたの?。」
咲は自分の軌跡を追いかけていた。
少しでも多く、自分の生きた証を知るがごとくで、
僕は切ないやら健気に思えるやら何ともいえない気持ちで咲を見ていた。
「お誕生までどす。そう、お誕生の日やったわ、あなたがおとうはんについていかはったんは・・・。」
「・・・そうなんだ・・・。」
咲はやや悲しげな顔をした。
「それじゃ、何も覚えてないのは当たり前ですね・・・。」
「え・・・江里子ぉ」
奥の方から老人の声がまた聞こえた。間違いなく咲を呼んでいた。
咲は声の方を向いた。
「江里子やわぁ・・・江里子が戻ってきはった。」
「だんさん・・・ちがいますえ。」
老婆は必死に興奮する老人をなだめていた。
「・・・はい!江里子です。」
咲は、老婆を後目にして、そう言い放った。
僕はあわてた。咲が何を考えているのか測りかねた一瞬だった。
咲は老人を見て静かに微笑んでいた。
「おじいさまが、あたしをお母さんだと思っていらっしゃるなら、あたしは今お母さんなのよ。・・少なくともおじいさまの心の中ではお母さんなの。」
咲はそう僕に告げた。そして、まるで聖母のように、老人の会話に優しく応じた。まるですべての「母」であるかのような、限りない優しさを僕は感じていた。
「江里子・・・咲は大きゅうなったやろなぁ・・。」
「・・はい・・とっても。大学生になりました。」
「おうおう・・・新制大学すすみはったか・・。えらいえらい・・・よう育てたなぁ。・・東京の旦さんは達者かね。」
「・・・はい。」
「そちらのボンは、どちらはんや・・。」
咲は悪戯っぽく僕をちらっと見ると、
「・・・咲のいい人です・・。」
そう答えた。老人は眼を細めて僕を見、静かに肯いていた。
ひょっとしたら、彼は咲が咲であることに気づいているのかも知れないとふっと思った。
そして、咲のこの健気でもの悲しい芝居を全て解っていて、
それで咲の悲しみのようなものを精一杯和らげているような気がしてならなかった。
小一時間・・・咲の芝居は続き、
やがて夕日に送られるように鹿ヶ谷の伊集院家を後にした。
以下次号
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