結構秀作だった記事の再認識 ロシアによるウクライナ侵攻に対する雑感から
あたしは考古学者だった
考古学とは「発掘」が基本作業です。
土を掘るのが一般的ですが、実は、
たとえば博物館に展示されている資料は、
その博物館にある資料の一割にも満たなく、
収蔵庫で未整理のまま眠っているって言うのが実態なのです。
あたしの先輩が膨大な「写真資料」が未整理のまま、収蔵庫にあるんだ。
という話をしてくれたことがありました。
さて、notoも記事が自身1000記事超えたと通知がありました。
そんなに書いてたかという感覚の前に、
「記事の消費」がなんだかもったいなくなって、
新たな記事を書くのと平行して、
自分の過去記事を「発掘」して、
新たに解釈を加えるのもいいかな。
そう考えてみました。
今回は、冒頭のこの記事。
あたしは、ここで面白い解釈をしたと思います。
カインとアベルは、アダムとイブの「禁断の果実」
の結論なのかも知れない。
また、「神」とは、一体何なのか。
そういう考察をしていたんだな。
どうしようもない事に、どのように対処して
そして、かならずそれに対する「途」がある。
そういうことが、今更過去の記事から読み取れるからです。
人は時に、「過去の自分」からも
救われることがあるのだ。
そういう印象を持ちました。(再掲します)
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