あらがうときは、遠慮なく。あきらめるときは、潔く。
「諦める」って
明らかに認めて、手放すという意味。
諦めることを
良いことと捉えるか
悪いことと捉えるかは
人や状況によって違う。
私は、諦めるっていう言葉、
嫌いじゃない。
ただ、
良い諦めには
あらがうことが必要だなと思う。
自分の気が済むまで
あらがったと思えるなら
良い諦めができる。
そんな話。
<マイノリティ>
これまでの人生、
結構長い時間を
マイノリティとして過ごしていると思う。
多くの人が歩く列からは
意図してないのに、外れてしまい
なんとか戻ろうと頑張った時もあったけど
結局、またはみ出てしまう。
人間一人一人をみれば
みんな違うんだから
マイノリティも、マジョリティも
存在しないのかもだけど。
人生には、あらがえない運命みたいものが
張り巡らされていると思う。
<出来事の意味>
人生で起こるすべての出来事には
「絶対、意味がある」と思って
生きてきた。
しかも、それは
「その人が幸せになるための意味」
しかないって思ってた。
だから、人生で
「後悔したこと」は
ほとんど”ない”。
というか、一つも”ない”
というか、”ない”と思っていないと
やっていけないのかもしれない。
選ばなかった道の先は
永遠に分からないし、
若い頃でも
それはその時の
自分のベストだったと思う。
過去を悔やんだら
未来の決断にも
自信をなくしてしまう気がする。
<運命にあらがう>
運命みたいな
流れみたいなものに
身を任せていた方が
生きるのは楽かもしれない。
高望みしないで
足元を見て
現実的に考える。
それも悪くないけど
それだけでは、つまらない。
だから、時々は
気が済むまで、
あらがってきた。
ゴールに到達できなくても
やりたいことができなくても
あらがったことは
自分が一番知ってる。
目の前のことに
全力出し切った経験って
死ぬまで生きるから
とことん執着して
とことん固執して
やれるところまでやる。
そんで、もう無理だと思ったら…
<諦める>
潔く。
一所懸命やっても
できないことは山ほどある。
努力は、全部、
目に見える形で
報われるわけじゃない。
やるだけやったら
あとは、「どこで手放すか」
もしくは「どこで妥協するか」
それを考えて、決めたら、
スパッと諦める。
諦めるって
全部なくなることじゃない。
必要なものは、必ず残る。
だから
あらがうときは、遠慮なく。
あきらめるときは、潔く。
これからも、そうありたいと思う。
<結局、最後は、慣れる>
あらがって
あらがって
ダメなら
諦めて。
そうやって
何度も何度も
新しい場所や、新しい自分に
出会っていく。
新しいものは怖いけど
ありがたいことに
どうしたって
人は慣れる。
慣れていく生きもので、
順応性とは、すごいもの。
だから、人は結局、
何があっても大丈夫。
基本、人生、みな順調。