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素を出せば、ほとんどはダメな人。

”素を見せる”
ということ。


自分のありのままを出す
ということ。


それができる人と
できない人がいる。


見せてしまうと…
出してしまうと…


たいていの人は
ダメな人
現れると思う。


でも人生の中で
素を出せる相手が多けば多いほど
時間が長ければ長いほど


幸福度も高い気がする。


そんな話。



<環境と相手による>

自分の素を見せることが
できるかどうかは


環境と相手によると思う。


私は自然の中に暮らせば暮らすほど
自分の素が出せるようになってきた気がする。


自然は自然のままだから。
何も着飾っていなくて
ただそこにいるだけ。


そういうものに囲まれていると
不思議と自分もそうなっていく感覚。


相手もそう。
相手が自然体でいると
自分もそうなりやすい。


仮面をつけて
何かを演じている人
の近くでは
自分もそうなりやすい。


そんな気がする。



<素を出すと…>

自分も含めて
人は素を出すと
たいていダメなところ
現れる。


わがままだったり
泣き虫だったり
気分屋だったり


マイナス思考だったり
だらしなかったり
実は、人が嫌いだったり


そんな自分を隠すために
何かを演じようとする。


教師としての自分
親としての自分



歳を重ねれば重ねるほど
演じることが上手になる。


社会で生きていくためには
必要な力。


でもそのうち
”演技””素”との境目がわからなくなって
自分を見失う。


でも素がなくなることはないから
時々出てくる本当の自分とのギャップ
苦しくなったりする。


素を無くそうとする人
受け入れようとする人


いろんな人がいるけれど
受け入れている人の方が


楽しそう。




<人はたいていダメな人>

素を出せば
たいていの人は
ダメな人になる。


よく
「人は完璧じゃない」
なんていうけれど



完璧なんて
ほど遠い
ダメな人。


それが人間。


多くの人が
そんなもんじゃないのかな。


見事に演じている人を見ると
すごいと思うし
そんな人を尊敬する時もあった


でもいざ、フタを開けてみれば
「この人、大したことないじゃん」
ってことがよくある。



演技力が違うだけで
人はそう変わらない。


たいていみんな
ダメな人。


たいてい
自分もダメな人。


それでいい。



<ダメな自分でいる時間>

ずっと演じ続けて
生きる人もいる。


私は、それは
嫌だなと思う。



演じることに
力を使うくらいなら


ダメな自分も受け入れて
ついでに
周りにも受け入れてもらって


生きていた方が
楽だ。


不思議と
そういう人には
自然体のダメな人が集まってくる。



ダメな自分でいる時間。

ダメな自分を見せられる相手。


それが多ければ多いほど

人生はお得な気がする。

















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