Life Story Ⅷ オンラインコミュニティ「教室のえんがわ」
オランダ、ヨルダンから帰国して
1ヶ月後の2018年1月下旬。
オンライン教育談義コミュニティ
「教室のえんがわ」を立ち上げた。
自分が本当に良いと思うものを
つくりたかった。
構想から実現まで数週間で、
気がついたら、できてた
という感覚。
<立ち上げた理由①>
きっかけは
やっぱりオランダ。
子どもが幸せに生きる国には
幸せに生きる大人たちがいる
それは、
言い換えると、
子どもたち一人ひとりが
大切にされている国では、
大人たち一人ひとりが
大切にされている社会がある。
そして、その社会には
「繋がり」「対話」「個の幸せ」
があった。
教育に関わる人たちの、「繋がり」をうむ場所。
「対話」ができる機会。
自分にとっての「幸せ」を考える時間。
そんな空間をつくりたいって思った。
<立ち上げた理由②>
人を機械のように扱うのではなく
一人ひとりに寄り添い
それぞれの個性を大切にする教育をつくろうと
多くの人が奮闘してきた。
それは世界の教育史を遡れば
100年以上も前から始まっていたこと。
この100年で多くのものが進化を遂げたのに
残念ながら
「教育」は、取り残された。
教育はその単体で成立しているものではなく、
社会と密接につながっているもの。
教師だけでつくるものではなく、
社会に関わる全ての人で
つくられているもの。
つまり
教育は「協働作業」
でも私が見てきたのは
バラバラにいる人たち。
一人で育児を抱えるお母さん。
腹を割って話せない教師と保護者。
個人の教育観には、目を向けない職員室。
これでは、何も変えられない。
役割や立場を超えて、
“本当に良い教育とは何か?”
を一緒に考えて
”協働的”になれる場所が
あったらいいなって思った。
<名前の由来>
”えんがわ”は、日本建築特有のもの。
家の正面にある玄関とは違って
ちょっと外れた場所にある。
誰もが気軽に入ってこれて
靴を脱がなくても
腰をかけたり
おしゃべりできたりする場所。
私がつくりたいものは
そんなイメージだった。
だから「教室のえんがわ」にした。
もっとかっこいい名前も探したけど
これ以上に、しっくりくるものはなかった。
今は、この名前にして良かったと思う。
<えんがわの”旗”>
ヨルダンで見た
モスクというコミュニティ。
そこには、「イスラム教」という
絶対的な“旗”があった。
場所をつくったところで
“旗”がないところに人は集まらない。
だから私なりの”旗”をつくった。
「大人も子どもも幸せに生きる教育」
これが、「教室のえんがわ」の“旗”になった。
<オンラインを選んだ理由>
オランダ滞在中に
初めてzoomを使った。
Skypeは苦手だったけど
zoomならスムーズに使えたし
画期的だと思った。
オンラインなら
子育て中のママやパパ。
多忙な先生たち、遠くにいる人たち。
日本だけじゃなく、世界中から
いろんな人が参加できる。
オフラインイベントよりも
開催が容易で
継続性を高めることができる。
そんな理由からオンラインを選んだ。
<オンラインから全国へ>
オンラインでは、
いろんなテーマで開催した。
◉教育現場の嘆き
◉長時間労働と子どもたち
◉人を比べるって悪いこと?-有能感について-
◉勉強って楽しいもの? -学ぶ意欲について-
◉給食のこと -食べ方は、生き方?-
◉Why Japanese Soji? -どうして僕たちが掃除するの?-
◉学校休んでいいんだよ法 -教育機会を確保する-
◉3歳の早弁 -自己決定は誰がするの?-
◉パワハラ -それっておいしいにゃ?!-
◉子どもの放課後
◉“せいきょういく”を語ろう
アイデアや構想、進行も
一人では良いものができないから、
常連さんにスタッフをお願いして
チームで場づくりをするようになった。
オンラインでの開催を続けていると
「教室のえんがわ」をもっと広げたい
いろんな場所で、リアルで開催してみたい
って思った
コミュニティ内に
リアル開催での提案を投げかけると
いろんな地域から
開催のリクエストが届いた。
でも、全国を回るためには資金が必要。
その資金調達のため、
“絶対に、コレだけはしない!”
と考えていた方法を
私は選んだ。
<クラウドファンディング>
いろんなプロジェクトを
支援したことはあった。
でも自分が支援される側になると
見える世界はまるで違う。
クラウドファンディングを
やるか、やらないか
相当、迷った。
お金を受け取るという申し訳ない気持ち
資金が集まらないときの恥ずかしさ
集まった金額が、自分の評価になる怖さ
活動の社会的評価を知る怖さ
そんな私の不安を
仲間が一つずつ取り払ってくれて
周りには背中を押してくれる人しかいなく
幸い、押す力がとても強くて(笑)
私の場合、
やるか、やらないか迷う時点で
やらないと後悔する。
失うものは何もない気がしたから
覚悟ができた。
2018年5月。
約1ヶ月間のプロジェクトがスタート。
結果、目標の2倍の資金が集まった。
ほとんど寝れない1ヶ月間で
終わった時は、心底、ほっとした。
でも正直、
プロジェクト終了時には、
お金のことはどうでも良くなってた。
プロジェクトを成功させるために
ものすごくたくさんの人たちに助けてもらった。
お金を集めるために始めたけど
それ以上に価値あるものを与えてもらった。
おかげで
全国8ヶ所で”リアルえんがわ”を開催することができた。
長野県 佐久市
東京都 町田市
岐阜県 多治見市
栃木県 那須塩原市
三重県 亀山市
群馬県 館林市
愛知県 名古屋市
宮城県 柴田郡
出会った人たちは、皆
教育をより良くしたいと思っていた。
たくさんの人たちと
たくさんの話をした。
この時に出会った人たちとの繋がりに
今も支えられている。
<改めて、感謝>
「教室のえんがわ」は
参加することで
得られるものが
とても曖昧だった。
セミナーや講座のように
何かの知識が習得できたり
スキルを身につけたりできる
場所ではなかったから。
私が「教室のえんがわ」でやりたかったのは
ヨルダンで見たような
無駄なおしゃべり
面倒なやり取り
そのものだったと思う。
効率化を良しとする
日本社会にそれをどう発信するのか
常に悩んできた。
想いがあるのは当たり前。
その上で
根拠・具体的事例・ビジョンなど
ロジカルな視点がないと
人は動かない
と教わった。
分かってはいたけど、
私は「教室のえんがわ」の価値を
表現しきれないでいた。
こんな場所。
誰にも求められないのでは。
ひとりよがりに過ぎないのでは。
そう考えたことは何度もある。
でもえんがわに来てくれた人たちの言葉に
いつも励まされた。
毎回、テーマは違えどそれぞれの回で、教育への希望を見出す場として成立していて、この活動が広まれば、きっと今の教育の痛みを癒すことににつながると私は感じています。参加の敷居も高くありません。日々の生活に、ほんの少しだけ教育を考える時間を持つきっかけとなり、それがきっと、これからの日本に、世界に豊かさをもたらすと思います。
話す方も聞く方も、言葉の表面だけでなくその人となりを含めて広く深く想像力を働かせてコミュニケーションする練習が必要なんだろうと思っています。それを安心して練習できる場として教室のえんがわを捉えています。
お互いを尊重しながら、居心地のいい空間で多様な人達と対話をすることで、ふと立ち止まり、普段見えない「本質」や「素の自分」に気付くことができます。そして、じわじわと背中を押してくれる。
ついまた行きたくなっちゃう、そんな場所です。
この場所はいい意味で、とても曖昧で寛容だと思います。
場所をつくったのは私でも
そこに価値を与えてくれたのは
そこに集まった人たちだった。
続けて来れたのは間違いなく、
その人たちのおかげ。
改めて感謝を伝えたい。
「本当に本当にありがとうございました」
今は少しお休みをしてるけど
タイミングがきたら、
また始めていきたいと思う。
その時は、
またよろしくお願いします。