LifeStory Ⅲ 若年出産の仕事
息子が4歳の時に別居。
実家に出戻った。
高卒。
社会経験ゼロ。
貯金ゼロ。
21〜23歳の2年間は、
実家で暮らしながら、
ひたすら働いた。
9つの仕事を経験して
2つの資格を勉強した。
あえて、全部書いてみた。
<9つの仕事>
【早朝市場の事務】
野菜が市場に入荷されるのが、早朝5時頃。
スーパーに出荷されるのが7時。
その2時間で、出荷出票を作る仕事。
5時に市場に行き、
ノンストップの入力作業。
仕事が終わると、すぐに自宅へ帰り、
息子を起こす。
これが1日の始まりだった。
【消費者金融の窓口】
初めての派遣社員。
小さな金融会社で、金利は法定上限いっぱい。
お客は主に、
銀行や大手ではもう借りられない人達。
窓口で、名前と生年月日を書いてもらい
負債状況を割り出す。
そのデータを店長に渡すまでが私の仕事。
ほとんどの人が
返済遅滞か破産で
融資不可。
でも借りに来る人も必死だから、
窓口で怒ったり、泣いたりする。
来るのは、借りる人ばかりじゃない。
毎月、お金を返済しに来る人もいた。
そういう人とは、
いろんなお喋りをして、
楽しかったりもした。
でも、来なくなることもあった。
そういうときは、
いつもは優しい顔をした男性社員が
怖い顔をして出かけていく。
取り立ては、する方も辛そうだった。
ある日、よくお喋りしてたおじさんが
自殺したことを知った。
それ以降、派遣の更新はしなかった。
【信用金庫の融資課】
派遣社員の2社目。
信用金庫で、融資課は花形らしい。
ただやってることは、
小さな消費者金融とそう変わらなかった。
人や会社は、
常に数字やアルファベットで評価をされ、
それが社会的な信用となり、お金に変わる。
つまらない仕事だった。
お局に目をつけられ、
見事にいじめられた。
泣きながら辞めた。
【大手建設会社の事務】
3社目。1年以上働いた。
つまらなそうに働くサラリーマンに囲まれて、
多少のセクハラには目をつぶり、
作り笑顔で、お茶汲み、コピーに勤しんだ。
【バーテンダー】
週末は、息子がパパの家で過ごしていたから、
夜も働いた。
バーテンダーは、見た目で選んだけど、
練習の試飲だけで酔っ払う私は
仕事にならなかった。
【ガールズバー】
友達と一緒に始めたけど、
周りの女の子たちのテンションが高すぎて
疲れて辞めた。
【キャバクラ】
今度は、お客のテンションが高すぎて
疲れて辞めた。
【クラブ】
働くお店を選ぶとき、
時給の高いお店を選ぶのは怖かった。
でも思い切って、
少し時給の高いお店を選んでみた。
面接のとき、
「希望の時給は?」
と聞かれた
まさかの
”言い値”
人生初の質問に焦り
勢いで釣り上げた。
いわゆる会員制のクラブ。
落ち着きがある分、
規則が厳しかった。
日常とは、全く違う
眩しいけど、暗い世界。
目の前で、お金の束が流れた。
思い切り、背伸びをして
真面目に働いた。
おかげで週2日働くだけで、昼の月収を超えた。
出会った人は、ピンからキリまで。
「夜の世界で働いてた」
ってイメージ悪いから
あまり人には言えなかったけど、
でも正直、楽しかった。
生き方を考える上で
多くの影響を与えてくれた時間
だと思う。
意外と”小心者な性格”がうまく働いて
深みにハマることなく
お金を貯めて
ささっと辞めた。
【設計事務所の事務】
息子が小学校入学するとき
実家の近くにアパートを借りて、
2人で暮らし始めた。
離婚も成立。
仕事の掛け持ちはやめて、
小さな設計事務所の正社員になった。
仕事は、経理。
社長が、私の経歴を知り、
母子2人で生きていけるようにと
採用時に、お給料をあげてくれた。
残業や土日の出勤も殆どなく、
働くことができた。
ワンマンでわがままな社長だったけど
彼の配慮があったから
私はこの後、
大学に通うことができた。
感謝しかない。
<2つの資格>
忘れていたけど
資格の勉強をしたこともあった。
一つは、
【宅地建物取引士】
勉強したのは、まだ別居する前。
19歳の時。
旦那さんの両親は、
アパート経営をしていたから、
私が宅建を取れば、
恩返しができるかもしれないと思って、
1年間、独学で勉強した。
でも離婚することになったから
そのまま流れた。
もう一つは、
【中小企業診断士】
22歳の時。
女手一つで子どもを育てる娘を心配した両親が、
「何か資格を取ってみたらどう?費用は出してあげるから。」
と言ってくれたから、
いろんな資格を調べて、これを選んだ。
会社経営に漠然とした興味があった。
週末だけの専門学校に、1年間通った。
難しすぎて、足元にも及ばず。
どちらの資格も取得はできなかったけど、
経済、経営、土地、不動産の知識は、
社会で生きるとき、あらゆる面で生かされた。
当時の学力は、中卒程度。
一般教養的な知識が
すっぽりが抜け落ちてた私には、
無知を隠せる盾になった。
<経済力が自由の土台>
離婚をすること
親権を得ること。
これに、2年かかった。
特に、親権については、
自分に経済力がないと
奪われてしまうかもしれないという
不安を抱えて過ごす時期があった。
自由に生きるためには
経済的に自立していることが
不可欠
この意識が強く根付いた
助けてもらうばかりの人生だったけど
自分の足で立つこと
これだけはこの先も
手放さないと決めている。
<良き経験>
10代で母になり、
一人で子どもを養うのは、
体力勝負。
市場から見えた朝日。
クラブからの家路で見た朝日。
気づけば、
24時間働いてた
当時の
”我が子のためパワー”
はすごかったと思う。
そして一度、上昇気流に乗れば
あとは、飛ぶのが楽になった気がする。
子どもが小さいうちは
自分のやりたい仕事ができなかったけど
おかげで
いろんな世界を見たし、
いろんな人の生き方に触れた。
ギリギリを歩いたし
失敗もしたけど
若いうちの失敗なんて
かすり傷にもなってない
良き経験をした
それに尽きる。
サポートしてもらえたら、飛び跳ねるほど喜んで、もっと良い記事を書こうって頑張る子です。よろしくお願いします♪