教師を辞めた人たち
昨日、一通のメールを受け取った。
「実は私も教師をやめました。呼吸をして暮らしかったから」
胸が苦しくなった。
数年前、熱意に溢れてた姿を知っていた分、
余計に。
元気で暮らしてくれるといいな。
なんとも言えない気持ちになり
思いのまま、まとまりもないまま
書いてみた。
ひときわ、暗い文章だけど
私は、すこぶる元気です(笑)
<こんなこと、考えたよ>
私の周りには
教師を辞めた人たちが
どんどん増えてる。
辞めたいと思っている人も
どんどん増えてる。
もちろん前向きな人生選択として
決めた人もいるけれど
私は続けられるなら、続けたかった
と今は思う。
いまだに教室にいる夢をみる時がある。
ものすごく忙しかったけど
毎日、子どもたちと
お腹を抱えて笑ったこと
心から喜んだこと、
心から叱ったこと
教室という場所には
思い出がたくさん詰まってる
その場所から離れるということは
いろんな人にとっての苦渋の決断。
想いがあるからこそ
教師という仕事を選んできた
子どもたちのため
社会のため
未来のため
教師という仕事を愛している友達が言った。
「私には、人を育む以上に価値のある仕事は見つけらない」
本当にその通りだと思う。
そんな素敵な仕事。
魅力がたくさんある仕事。
それでも
しがみつけなくなってしまうほど
苦しいことが
教師にはたくさんある。
辞めた人たちが
口々に言うのは
「人権が守られていない」
「人間らしく暮らせない」
「失うものが多すぎる」
それでも目の前の子どもたちのために
毎日、全力でやってきた。
増え続ける仕事
見えない圧力
保護者の想い
子どもの気持ち
すべてに応えることが
求められる
それでも
自分の体や人生と引き換えに
子どもたちの道を
照らし続けていく。
想いがあるほど
潰れていく。
悲しいけれど
これは本当だと思う。
大人は
子どもたちに
いろんな願いをもつ。
こんな人になってほしい
あんな人生を送ってほしい
でもそれを近くにいる
大人ができていなければ
そんなことは絶対に叶わない
学校現場にいると
それができなくなって
その矛盾に気づいた人ほど
苦しくなって
そこから逃れることでしか
自分を救う道がなくなる。
なぜこうなってしまうのだろう。
誰もが良かれと思ってやっているのに。
何を、誰を、
責めればいいのかも分からない。
教師という仕事は素晴らしい。
生涯を通して
やり通すだけの価値ある仕事だと思う。
想いがある人ほど
楽しめる仕事になってほしい。
何も犠牲にしなくてもいい。
何も捨てなくていい。
子どもたちの前で
毎日、本当の笑顔でいられるように
なればいいな。
こんなこと
多くの人が求めていることなのに
なぜ叶わないんだろう。
オランダ人の友達が言った言葉を
思い出した。
「民主的な方法が、平和とはかぎらない」
ちゃんとした民主主義の中で
生きている人が言うと
より重かった。
ならば、
いっそ
学校がなくなってしまえばいいのかな。
いっそ、
一度、破綻でもして
いっそ
戦後の焼け野原みたいに何もなくなって
いっそ
0からつくりあげるくらいでないと
ダメなのかな。
今、学校がなくなったら
どうなるのかな。
地域によっては、
すぐに小さな学び場が
できるかな。
それが日本中にたくさんできれば
いいのかな。
”学校”や”教師”という存在がなくなれば
子どもを社会で育てるってことできるかな。
でもその時、今と同じ文化なら
また同じことを繰り返すのかな。
それじゃ、意味ないな。
こんなこと、考えてたら
友達から相談の電話がきて…
「多動で教室を出ちゃう子、どうしたらいいかな?」
「出してあげればいい」
でもそれができるなら
みんな、してるよね。
結局、問題はいつも
子どもじゃなくて
大人の世界にあるもんね。
今日は、ここまで♪