LifeStory Ⅳ 国連目指し、教師へ
「もう消えたい」
そう思ってた時期が一度だけあった。
未来が不安で、疲れきってた。
息子がいても、ブレーキがかからない。
ただ全てから逃げたかった
いつでも消える準備をして
やっと安心できた
ギリギリの日々。
私の異変に気づき
救ってくれたのは、中学の親友。
夜中、玄関に届いた手紙。
思い切り
腕を引っ張って
明るい道に戻してくれた。
誰かに救われて生きる
そんな経験が
私の中に
積み重なっていた。
<国連を目指す>
正社員で働き
安定した暮らし。
そんな中、ふと
”育児の終わり”
を考えた。
いつか息子が巣立つ時がくる
息子のためだけに生きていたら
その先、私は、
どうやって生きていくんだろう
突然、
「何かやろう」
と思った。
高校生の時に興味があった
青年海外協力隊。
その影響で
途上国支援の団体の資料を
いくつか取り寄せた。
その中にあった、ユニセフの報告書。
表紙の写真を見て、手が止まった。
ボールを縫いながら
眠ってしまっている男の子
”児童労働”
言葉は知ってた
この地球には
生まれた場所によって決まる
違いがある。
理不尽なことがあっても
自分の目の前で起こらなければ
自分ごとにならない。
そんな世界に生きていることを
思い出した。
私は偶然、幸運にも
五体満足で
物質的に豊かな国に生まれた
学びを望めば、
それが叶う環境にいる
そんな私が
困っている誰かのために
人生の時間を使わない方がおかしい
会ったこともない男の子を
助けたいって思った
自分がもらってきた恩を
誰かに返したかっただけかもしれない
目指したのは
ユニセフ
ユニセフは
国連のなかの一つの機関だと
その時、初めて知った。
次から次へ、問いが生まれた。
Q:「国連で働くには?」
A:条件は主に2つ。修士号と英語力。
さらに修士号は、開発学が良いらしい。
Q:「開発学で修士号を取るには?」
A:名古屋大学大学院 国際開発研究科
通称:G S I D
を卒業すること
Q:「G S I Dに入学するには?」
試験は、小論文とT O I E C650以上
そして、大学を卒業していること
やることが分かった
大学に行き、
英語を勉強する。
理由はなんであれ、
大学に行こうとする娘を
母は嬉しく思ったのかもしれない。
高校の時と同様、
通信制の大学を見つけてきてくれた。
なんの迷いもなく、入学した。
入学時は、経済学部を選んだ。
<教師を目指す>
在学中、フィリピンと日本に拠点を置く
N P Oでボランティアをした。
そこで出会った人たちは、
とても賢く、多才な人が多かった。
何も知らない自分
何もできない自分
恥ずかしくなった
人を救うには、
自分に能力がいる
馬鹿では人を救えない
そう思ったから
とにかく勉強した。
見える世界が広がって
進む道が
少しずつ明確になった。
あらゆる国の、
あらゆる課題の背景には、
教育があることを知り
ユニセフは組織が大きいから、
草の根的な活動が難しいことを知り、
私は、現場で仕事がしたいことに
気付く。
そして、
”何か”ができる自分になりたかった
そこから導き出されたのが
教師になる
ことだった。
経済学部から
教育学部へ転部。
育児・仕事・大学
3足のわらじは
24時間労働よりは楽だったけど
卒業までに5年かかった。
28歳になっていた。
<理由は後からついてくる>
自分でも呆れるほど
猪突猛進な人生。
周りの人は
こんな私のそばにいて
疲れないだろうかって
時々、心配になる
でも止まらない。
気が付くといつも
すでに何かしてる
そんな私だから
実際に当時、
どこまで考えていたのか
正直、分からない
やっているうちに
やる理由が
後からついてきた気がする
人生、説明しきれないことの連続
この後、
理想と憧れを抱いて
足を踏み入れた教室
残念ながら
説明しきれない人生の生き方を学ぶには
程遠い場所だった。
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