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あなたを待ついくつもの部屋~経済観念について

角田光代の「あなたを待ついくつもの部屋」を読んでいて感じたことを記します
この本は、帝国ホテル発行の会報誌「IMPERIAL」で11年間にわたって連載されたもので、東京、大阪、上高地の帝国ホテルがそれぞれ舞台になっている1作5ページほどの掌編小説集です
素敵なお話が並んでいます(私の好きな作家のひとりです)

ただ読みながら思ったことは、自分は帝国ホテルに宿泊することはないだろうなということでした
(例外は上高地帝国ホテルで、連れ合いが予てから行きたいと言っているので可能性はあります)

日常的に(あるいは何かの時でも)ここ(あるいは同様の高級とされる施設)を選ぶ人とは経済観念が違います
それは場所(とそこに注がれている人の情熱)に対する価値の体験値が低いまま、今に至ったからなのかもしれません

このように書き始めましたが、作者の意図はホテルという場を題材にした「体験」「内面の気づき」の物語に導火線として帝国ホテルに働く人たちのプロ意識を加えたものであり、私の切り口は発想を飛ばしたものであることを書き加えておきます

たとえば外食は昼食が中心です
夜は家でくつろいで食事をしたいと思うタイプです(それに高い)
若いころのように千円以下ということはないですが、それでもメニューのうち高いコースを頼むことはまずありません
ここは連れ合いと経済観念(なのかな?)が似通っていると感じています
その分、回数は少し多いかもしれません
退職して時間が自由になり、出かけることが増えたのでなおさらです

記念日に高級ホテルに泊まって夕食をとることなどまずありません
でも、帰省した時には、少し足を延ばし山の中にあるこじんまりとした料理旅館に何年かに一度宿泊してご主人の作るおいしい料理をいただくことはあります(3室しかなくなかなか空いていないのが難点です)

旅行にも行きますが、宿泊するところはできるだけ安い宿を探します
改めて読み返すと、「ほどほど」を選んでいるんですね
自分が「リーズナブル」と考える範囲での消費支出を行っているということです
そのレベルが今のところは連れ合いとそれほど違わないと思っており、これからも二人でやっていけるのではないかと思います

無職となり、お金を使うことにますます慎重になるかもしれませんが、自分のお財布の範囲内で過ごすことしかできないですよね
でも、まずは国内のいろんなところに行きたいなと思ってます
なんだかとりとめのない話になってしまいました


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最後まで読んでいただいてありがとうございます まだまだnote初心者ですが、いろいろ試行錯誤しながら思っていることを言葉にしていたいと思います