見出し画像

走ること(走らないこと)について①

現在60歳を過ぎたおじさんランナーとして月に100キロほど早朝に走り、年に3回程度マラソン大会に参加しています
ごく普通の市民ランナーだと思っています
本格的(継続的)に走り始めたのは50歳になる年の4月からだと記憶しています
振り返れば10年以上になりますね
走り始めたきっかけや、走ることについて思っていることを何回かに分けて記していこうと思います
他のランナーの方や、自分は走らないという方と、何らかの交換ができるとうれしいなと思って書き記してみます

きっかけは「皇居ランの魅力!」

今は一人で走っていますが、最初はやはり一緒に走る仲間がいたから始められました
地方の支店を2か所回りほぼ5年ぶりに東京に戻り、東京駅近くが職場となりました
同時に社外の団体に参加することになり、そこで出会いがあり「皇居ランニング(今でも魅力的な言葉です)」に誘われ今に至っています
  ※この団体は異業種の集まりでとても素晴らしい会でした
   そのうちに記してみたいと思います

月に2回ほど(確か水曜日)、当時あった日比谷のランニングステーションで落ち合い、それぞれのペースで皇居を2~3周し(10~15キロ)、そのあと近くの居酒屋などで飲んで帰るということを2年ほどでしょうか、繰り返しました。
集まるのは4.5人程度、年齢層は40代から60代ぐらいでした
そこで、皇居ランニングのルールや、ランニングの基礎みたいなものをなんとなく教わり、そのうちに休みの日は一人で早朝に近所を走るようにもなりました

レース参加へ!

半年ほどたった頃でしょうか、誘ってくれた人から「来年の佐渡のトライアスロンにランナーとして出ないか」とお誘いを受け、レースへの道が開かれました
その会では、毎年9月佐渡で行われていたトライアスロンに、個人やチームとして参加していたのです(チームの場合は、スイムとバイクとランのリレーになります)
エントリーするには記録が必要ということで、翌年(2021年1月)に開かれる横田基地内を走るハーフマラソン(フロストバイトと言っていた)にエントリーして走ったのが最初のレースです
1月中旬の寒い日でした
でも米軍基地の中に入ることなんてなかなかないよね、ということで、楽しみでもありました
このレースに参加するように言われた理由は後になってわかりました
何せ平らでアップダウンがないので後半ばてても何とかなるのです
走った後は、少し歩いて銭湯で汗を流し、ビールで乾杯しました
(この大会は、次年度以降も都合3回ほど参加しました)
※余談です、その年は3月に東日本大震災がありましたよね
 私は日常的に走っているという自信(過信)により、勤務先から自宅まで(後で測ると33キロありました)約8時間かけて徒歩で帰りました
(連れ合いにこっぴどく叱られました)

佐渡のレース前日 レルヒさんと一緒に

とりあえずの結び

今回はここまでにします
継続できたのは
①一緒に走る人たちがいたこと
②途中から、レース参加という目標ができたこと
③申し込みのハードルを下げてくれる(あるいは有無を言わせない?)人がいたこと
でしょうかね
書いていて、でもその前の段階があったから誘われたことに気づきました
次はその話をまとめてみたいと思います




いいなと思ったら応援しよう!

ひでぼー
最後まで読んでいただいてありがとうございます いろいろ試行錯誤しながら思っていることを言葉にしていきます チップがいただければ、今後の変化につながるものと思います