
[222]ルールを守させる前に考えの共有を
〈前回のおさらい〉
人の話を聞くという姿勢は
大人と子ども達との信頼関係が
成り立っている時にこそ
発揮されるものであうるということを
お伝えしました。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
今回のテーマは
「ルール」です。
教育に関心がおありの皆様であれば
もしかしたらご存知かもしれませんが
東京都に、“校則のない”公立の中学校があります。
その中学校は、世田谷区立桜丘中学校。
西郷孝彦校長の主導で
くつ下やセーターの色は自由、
私服OK、タブレット利用OK、
授業は出なくてもいい、
授業中は出入り自由、
チャイムも鳴らなければ
定期テストも無い、
という、
“普通”だと思われている学校に慣れている側からは
おおよそ想像もつかない学校の在り方です。
それでいて、生徒は自由にのびのびと行動し
成績も優秀ときています。
(詳しくは、検索してみてください)
だから、校則を無くしましょう、
と、そんな乱暴な事を言うつもりはありません。
校則=ルールが無い
↓
正解が無い
↓
考えるようになる
↓
対話が生まれる
↓
気づきが得られる
(=学ぶ)
というようにつながるのではないかな
とボクは考えました。
なぜルールというものがあるのでしょう。
そもそもルールの本質とは一体なんでしょう。
ルールがあると確かに楽だとは思います。
なぜならば、ルールを守ってさえおけば
何も考えなくてもいいからです。
また、学校でいえば、
先生側が生徒にルールを守っているかどうか
ということで指導すればいいのですから
管理しやすいということもいえるかもしれません。
〜しなければいけない
〜すべきである
のように
人の行動や思考を縛りつけることを目的とした
ルールであれば、
要らないのではないか
とも思ってしまいます。
もし、ルールを設けるのであれば、
管理するためのルールではなく
子どもの成長を促すためのルールであればいいと
ボクは考えます。
考えれば考えるほど深みにはまりそうですが
対話を生む、気づきを得るためのルール。
それは、単にルールだけがポツンとあるのではなく
ルールの前には、学校なり、家庭のビジョン、
または信念や価値観があるべきではないかなと
思います。
いや、もしかすると、
「私たちはこうありたい。
こう目指したい」
という“健全な”ビジョン、信念や価値観さえあれば、
ルールは要らないのではないでしょうか。
何故ならば、考え方や行動などは
そのビジョンなり、信念や価値観に沿って
考えることができるからです。
たぶん、前述の中学校も、そのようなビジョンなり
信念や価値観が明確にあるからこそ
子ども達は自分達の学校でイキイキと楽しく正しく
行動しているのではないかなと思います。
ルールを守らせるのではなく
考え方を共有してもらう。
ちょっと難しくなってしまいましたね。
でも、ご家庭で考えてみるのもいいと思います。
「私たち家族はこうありたい」
ということを。
・
・
・
・
メルマガでもご覧ください!
第1号目からご購読できます。
毎日発行!お楽しみに。
↓
子どもの“しあわせ力”向上委員会 〜教育・子育て3分間ラーニング〜