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【映画レビュー】『少女邂逅』覚書~近づきすぎてはいけない、距離をめぐる彼女たちの闘争宣言~

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。 卵は世界だ。 生まれようと欲するものは、 一つの世界を破壊しなければならない。
     ヘルマン・ヘッセ『デミアン』 

 この映画においては、冒頭の授業シーンで教師が体にピアスやタトゥーを入れることを変身願望として説き、カフカの『変身』が紬の父親の登場や紬が倒れるシーンなど物語の結節点となるような場面において取り上げられているように「変身」が大きなモチーフとなっている。生態を変身させる蚕が物語を動かす役割を担っており、髪型をポニーテールに変えたミユリが会話をし、周囲との関係を変化させ、変身していく成長譚であるともいえる。
 しかし、本稿ではもうひとつの主題として「距離」をめぐる映画であることに着目したい。出会うことをあらかじめ運命づけられていたかのように巡り合った少女たちの「距離」の取り方をキャメラは執拗に追いかけていくのだ。「少女邂逅」とは、「距離」をめぐる彼女たちの闘争宣言の映画としても受け止めることができるだろう。

1.閉じ込められた狭い世界

 森の中に閉じ込められたかのように、ミユリが同級生たちにいじめられた後の俯瞰ショットではじまるこの映画は、白色の光に包まれた画調を帯びており、この街そのものが繭の中に閉じ込められた狭い世界であることを表象している。
 「いつまでこんな狭いとこいるの。かわいそうに。私がお前にもっと広い世界、見せてあげるよ。」とつぶやいて蚕を小箱から取り出して投げる、あるいは「やったじゃん。こんな狭いとこおさらばできるね。」とこの街を出るミユリを見送るいじめっ子の清水。電話ボックスの中から学校に戻ろうとして「窮屈で息が詰まる。いいんじゃない、箱の中にいないといけないルールなんてないし。」、あるいはミユリの髪型をポニーテールに変えさせた後、「きっと世界はもっと広いよ。」とミユリに語りかける紬。彼女たちはこの街=繭の中に閉じ込められた狭い世界の強度を痛いほど認識している。
 それは、小箱に入れた蚕を覗くミユリのショットやいじめっ子の同級生たちにスカートを捲り上げられ、繭に閉じ込められたように上半身を覆われて縛られたミユリを解放する紬の主観ショットがこの世界の輪郭を明瞭に浮かび上がらせ、繭の中に閉じ込められた狭さの表象が何度も反復されるからなのだ。
 しかし、この街=繭の中に閉じ込められた狭い世界に強烈な違和を感じながらも自足し、その強度に自覚的ではなかったミユリはこの街=狭い世界を抜け出すためにリストカットを三度も試みるがいずれも果たすことはできない。この街=狭い世界からの逃走のためには紬との「邂逅」と「別離」が必要であったからだ。

2.距離をめぐって~近づきすぎてはいけない~ 

 ミユリが母親から進学先について家の近くの公立大学を勧められる夕食のシーンが正面からの切り返しショットを挟まず、二人の距離の遠さを浮き彫りにするサイドからのショットのみで処理されていることは、この映画においてはキャメラのポジションが距離を表象するうえで極めて重要であることを認識させてくれる。
 自動販売機前の狭いスペースでたむろする同級生たちを覗きこむミユリの俯瞰的な主観ショットに不意打ちをくらわせるように、「行くよ」と紬がミユリの手を取って走っていく後姿を手持ちキャメラが追いかけ、階段をかけ降りてきた二人がそのまま校舎の陰を抜けると二人乗りの自転車で遠ざかっていく。この2カットの長回しは二人の距離が近づいていく様をダイナミックに表現している。
 雨の中の電話ボックスでの二人の会話は、この町=狭い世界を表象させる、公衆電話を挟んだ二人の俯瞰ショットではじまる。同時に、二人がアップショットで同一画面に納められていることからも、その近接性を確認することができるが、「近づいたら、消えちゃうんじゃないか」と話すミユリが距離の大切さにどこまでも自覚的であることは、二人の関係が正面からの切り返しショットではなく、フレームの外に視線を向ける切り返しやサイドからのショットでとらえられていることからもわかるだろう。電話ボックスを出ていく紬の後姿をミユリが追いかけるシーンがガラスへの反射を通して表現されていることもいまだ安定しない二人の関係を物語っている。
 ミユリが髪型を変えるまでは、正面の切り返しショットは画面を分割したスプリットスクリーンで、ミユリのiPhoneのフレームを通してのみ確認できるだけである。また、このスプリットスクリーンはiPhoneのフレームで切り取られた世界の鮮やかさと白色の光に包まれたこの街=繭の中に閉じ込められた狭い世界とのコントラストを際立たせている。
 ミユリの髪型をポニーテールに変えさせた後、「こんな狭いところ窮屈で息が詰まるよ。早く逃げよう。」と紬がミユリに逃走を呼びかけ、キャメラは初めて対峙する二人を正面からの切り返しショットでとらえる。そして、ミユリの髪型の変更=変身以降、ミユリの部屋や本屋で二人がサイドに立って一緒に沖縄の本を読むシーンなどアップショットで同一画面におさめた、二人の親密性を示すショットが多くなっていく。
 喫茶店で対座する二人をサイドからの長回しのトラックアップでとらえ、「みんなと同じ人生と自分で選んだ人生、君は?」と紬がミユリに問いかけ、沖縄旅行という二人だけの秘密の約束をして小指を絡めるショットは二人が最も接近する瞬間であり、紬にとっては「脱領土化」(ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』)にむけての宣言でもあろう。しかし、そこに突然、父親が登場し、二人を上から見下ろした時のミユリと紬のアップショットの小刻みなスイッチングや紬が主体的/従属的に父親に従ってミユリから離れていくシーンはこの父親による監視に晒され、その権力の枠内に吸い上げられる=「超コード化」(『アンチ・オイディプス』)を示唆しており、今後の二人の距離が徐々に遠くなることをも予感させている。
 これ以降、複数の友達と集まって話す場面でのミユリと紬が間に一人を挟んで座るシーン、教室の窓際のカーテンに繭のように包まれて紬に口紅を塗り直されたミユリが一人取り残される、あるいはファーストフード店で友達と恋愛話をするミユリとその外で男子と話す紬を同一画面にとらえたショットなど二人の微妙な距離を感じさせるシーンが徐々に増えていく。
 仕切りに区切られた箱の中にいる蚕をみて、狭いからと仕切りを取り除こうとするミユリに対して、「これがないと近すぎてお互いの糸が絡まっちまうんだよ。」と言って制止する教師。「近すぎるとダメになっちゃうんですか?」と応答するミユリ。近すぎることは逆に互いの関係を不自由なものにすること、適度な距離が必要であることを示唆する重要なシーンである。痛覚がない蚕を羨望するミユリと教師とが無言で向き合う場面を部屋のドアを挟んで同一の画面に収めるショットはミユリが距離の大切さを再び取り戻す契機となっているのであろう。
 階段の手摺や図書館の本棚を挟んだミユリと紬の会話は離れていく二人の距離を表しており、いずれも二人を同一のアップショットにおさめることを禁じている。決定的なのは保健室でのミユリと紬との蚕をめぐる会話を、窓の外を向いてベッドに座る紬の後ろ姿と紬の肩越しのミユリとの切り返しショットでとらえているシーンである。続く紬とミユリを同一画面でとらえたフルショットは左右に分かれた二人の距離の広がりを端的に明らかにしているだろう。沖縄に向かう電車の中で車窓を眺める紬と車内を向くミユリは同一画面のアップショットでありながら、互いの方向はすれ違っているのも印象的である。
 また、二人が初めて接近するのが自転車であったように、自転車も二人の距離を端的に表している。たとえば、夜に自転車を二人乗りするワンカットの長回しのショットは二人の親密さを、ミユリの夢の中での自転車を1人で乗る紬の後ろ姿と歩いて追いかけるミユリとの切り返しショットは遠くなる二人の関係を。更に、いじめっ子の清水を後ろに乗せてミユリが自転車を運転するシーンをロングのパンショットで捉えた場面があるが、紬→ミユリ、ミユリ→清水へとポジションが変換され、説話論的な転換が生じていることがわかる。

3.彼女たちの闘争宣言

 紬の肌から出ている糸は外部を覆う繭を形作るとともに、外部へと開かれた逃走線でもある。この糸を辿り、左の前腕をカッターで切って糸を引き出す紬をミユリが目撃するシーンはミユリのクローズアップとミユリの主観ショットでもある紬のサイドからのショット、紬の主観ショットである血のにじむ前腕のアップショットでモンタージュされ、外部に出るということは、傷つき、痛みを伴うものであることを教えてくれる。
 ミユリが駅のベンチで眠る紬の太ももの傷跡から糸を引っ張り立ち切るのは、この世界を閉じ込め、覆う繭を突き破ろうとする外部への逃走=闘争の強い意志であるとともに、絡まった二人の関係を断ち切り、独り立ちするためのアクションでもあろう。糸を断ち切る音とともに画面が暗転し、一人ベンチに残された紬のロングショットから教師や父親に捕捉されるシークエンスは紬が「再領土化」(『アンチ・オイディプス』)される過程と重なる。一方、倒れた紬がいるはずの保健室のドアを前にして立ち去るミユリのショットは紬との絶対的な距離の存在を示し、ポニーテールをほどいたミユリは大学受験という「コード」に従いつつも、教師や母親からの「再領土化」に秘かに抵抗し、逃走線を準備するのだ。
 理科の実験室での二人の横顔の小刻みなクロスカットに続く、紬が繭を茹でるビーカーを手で払いのける行為が、「脱領土化」に向けた戦線布告であるならば、大学進学で東京に向かう電車の中で、ミユリがリストカットではなく、紬がそうしたように左の前腕をカッターで切って血を流す行為はこの街=繭の中に閉じ込められた狭い世界の外へと出ようとする闘争宣言であり、絶対的な「脱コード化」に向けての強い意志にほかならない。
                                 2019年3月30日

クレジット
監督・脚本・編集:枝優花
出演:保紫萌香、モトーラ世理奈、土山茜、秋葉美希
ラインプロデューサー:jon
アソシエイトプロデューサー:小峰克彦
撮影:平見優子
美術:すぎやまたくや
衣装:松田稜平
音楽:水本夏絵
主題歌:水本夏絵
(2017 / 日本 / 101分)

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