泥水を啜る
泥水啜ってきたからだね
久しぶりの東京出張。
月曜日、何年ぶりかに、キヤノン販売時代の同期3人で会った。会社に残っていたり、辞めていたり、皆んなバラバラになってしまったけど、会うといつでもその時間に戻ることが出来る。社会人としてスタートしたあの頃の記憶はやっぱり特別なものとして残っているんだなと思った。
翌日の火曜日は、ここ数年にわたって、私やフクール、そしてKOTELOを応援してくださっている東京のお客様とお酒を飲んだ。上場未上場に関わらず、何社にも請われて社外取締役を務められるその方の、俯瞰的かつ冷静に物事と向き合っていらっしゃる言葉に大きな示唆をいつも頂いている。
今回もいろんな話をした。KOTELOをやっている意味や採用活動に対する想い。会社が目指す姿、そして自分自身の生き方。ほぼ私の話をずっと聞いてくださった時間だったかもしれない笑
そんな中で言われた一言がずっと頭から離れない。
「福崎さんの言っていることややっている活動が、ただの理想論と違うのは、泥水啜ってきたからだね」
どういうことと尋ねると、「お金や売上が全てではない」と言うけれど、「いつだって売り上げを上げられるでしょ?」と。
キヤノン販売時代、営業マンとして過ごした日々
2000年代前半のキヤノン販売はまだまだ「ザ販売会社」だった。CMで長谷川京子さんが「お役に立ちます」って言っていたけど、入社した時先輩に「売れるか売れないかしかない」と言われたのを覚えている笑
売上をあげた人が正義で、上げられない人は悪の時代(当時の先輩達ごめんなさい笑)
入社したての研修も、今では考えられない合理性に欠いたものが多かった。少し例を出そうと思ったけど、残念な気持ちになるからここでは書かない笑。
そんなキヤノン販売に入社したのは、特別な想いがあったわけでもない。父親が代理店のオーナーだったから、その子弟枠があった。それなりに給料が良くて、休みも取りやすい環境だったので、バンド活動などの方が重要だった私はすぐにその枠に乗っかった。就職に対して、何も想いを持っていなかったのだ。
そんな経緯で入社して最初に感じたのは、周りの同期の学歴の凄さ。
早稲田、慶應など名だたる大学を卒業した人たちが同期だった(当時はまだキヤノン販売も人気があったんだと思う。今思えば)
しかも、彼らの入社した時のモチベーションの高さにも圧倒した。
これが一部上場企業か・・・と思わざるを得なかった。
決して有名な大学を卒業したわけでもなく、高い志を持ったわけでもない自分なので、劣等感と、コネで入社したという負い目を感じた。
そして、それがモチベーションになった。
「誰にも負けたくない。特に有名大学卒業した奴らには笑」と言うのが入社一年目から退職するまで私のモチベーションだった。
その高尚ではない内発的な動機を源にして、めちゃめちゃ仕事をした。
BtoBの直販営業、飛び込み営業の毎日。暑い夏も寒い冬も、スマホなんて無いから地図を片手に、中小企業の玄関をノックし続けていた。
いろんな思い出がある。
飛び込んだお客様先で差し出した名刺を目の前で捨てられたり、一言も喋ってもらえなかったり、大声で罵倒されたり。
すごく笑顔で話を聞いてくれて、提案をさせていただいて、絶対に受注だと思っていたら実は競合企業の価格下げ要因だったこと。こんなことが一回二回ではなく、毎日続いていた。
悔しいし、情けないし、なんでこんなことをやっているんだろう・・・と思わない日はなかった。
けど、『負けたくない。』と言う自分がめちゃめちゃ仕事をさせた。
その結果、多分、同期の中では負けなかったと思う。トップガンと言う優秀セールスの食事会も毎月行かせてもらっていた。
悔しい想いをしても「次、次!!」といける自分が形成された。先のお客様が言った「売り上げならいつだってあげられる」自分が出来上がったと思う。
富山で待っていたのは別の困難
そんな数年間を過ごして2005年に、父親が経営する会社に入社するために富山に戻ってきた。
ここでは先の「負けたく無い!」というモチベーションではなく、「やらないと死んでしまう」という危機感が一番の動機だった。
もちろん一所懸命やった。それこそ売り上げをあげるために何でもやった。いつも何かに追われている感じ。実際、追われていた・・・。
その時代、何を見ていたかというと間違いなく「お金」ばかりを見ていた。だから、社員が去って行ったり、お客様が離れて行ったりしていった。
それを取り返そうとまたお金を求めたり、優秀な社員を採用しようとしたり、お客様を開拓したりしていた。何をやってもうまくいかない、ずっとその繰り返しだった。
何をやってもうまくいかない時代を過ごしていた。
今思えば、キヤノン販売で過ごした日々も、富山に帰ってきてからの最初の10年ぐらいも、形は違えど常に「泥水を啜っていた」と思う。地に這いつくばって必死に生きていた。
それから10年以上たった今、モチベーションは「理想を追うこと」
今、毎日の中で「お金や売上が全てではない」「百年後にも大切にされる会社にしたい」「社員の幸福が一番」「社会に応援される会社になろう」などの言葉を発している。
全て私の理想。そしてその想いに共鳴し一緒に行動してくれる社員や、共感してくださる方も少しずつ増えた。先のお客様もその一人。
一方、昨今のムーブメントだろうか、同じような言葉は世の中に散見される。特にウェルビーイングの文脈やワークライフバランスの文脈で語られることが多い。
けど、心の底から共感できるものは少ないなと感じていたのも事実・・・
そんな時の先のお客様の言葉。
『「お金や売上が全てではない」と言うけれど、「いつだって売り上げを上げられるでしょ?」』
そうか、私の理想の裏側には、何だって出来るはずだという生命力や再起力が自信となって共存しているのだ。
苦難や困難、悲しみや苦しみなど、泥水を啜った体験が、理想に彩りを持たせているのかもしれない。
人間は社会性の生き物だから、自分だけの世界は存在せず、社会の中の自分しか存在しない。
お金を稼ぐ力もないのに、お金が全てじゃないって言っていたらただの強がりなってしまう。
自分らしく生きると言うことは社会の中で「自分」と言う存在を認識してもらって初めて自分らしさを見出せるのかもしれない。
泥水を啜れば良いと言うわけではない。
けど、努力や苦労をしなくて手にいれられる生命力や再起力はないと思う。
そしてこれからの社会を幸福に生きるために、生命力や再起力、それらを源にした自分らしい強さは絶対に必要だと思う。
「苦労は買ってでもしろ」昔の人はよく言ったものだ。
真理というものは、時代が変わっても色褪せないということだろう。