Reハタラク。
ワーケーションという言葉があまり好きではない。
ワークとバケーションを組み合わせた造語。ヴァケーションか。どっちでも良いや。
観光させたい人たちが、観光させたい理由で流行らせようとしている観がプンプンだなと思ってしまう。
同時にワークライフバランスという言葉もあまり好きではない。
バランス。トレードオフみたいなイメージがある。
ワークはいつから「人生の時間を犠牲にするもの」になったんだろう?
以前、誰かがTEDで家族との時間を作っていない方をイメージして、「会社が定年後、あなたは三年前まで頑張っていましたね!って褒めてくれますか?」と言っていたのを思い出した。
家族に褒めてもらう為に’’ホドホド’’に働くのか?
’’ホドホド’’に働いている人を家族は本当に褒めてくれるのだろうか?
そして、仕事の報酬は「家族を養う」だけなのか・・・・。レジャーを引き立たせる苦役なのか?
仕事ってなんだ?ハタラクって何だ?
100年時代、生産する期間は非常に長い。団塊世代が逃げ切れた「65歳や70歳になったら働かなくてもOK」な時代はもはや無い。
ハタラクは「頑張ったら、いつか終わるもの」では無くなる。
だとしたら、「ハタラク」ということをもう一度、再定義しなければいけない。今こそ、’’Reハタラク’’だ!しかも、Re workじゃなくてReハタラクだ!
働くの語源は「傍(はた)を楽にする」と言われている。誰かのこじ付けかもしれないが、本質的にその通りだと思っている。
歴史上、どこかのタイミングで「お金と交換するもの」だけを「働く」と言うようになったんだと思う。
日本人の「ハタラク」は、「傍(はた)を楽にする」だ。その結果、対価として金銭をもらうこともある。
お母さんのお手伝いをするというのも立派な「ハタラク」。
田植えをしているお父さんに、田んぼの畔で食べてもらうための塩おむすびを握るのも「ハタラク」。
白血病から見事に復活して、皆んなに勇気を届けることも「ハタラク」。
と、思う。
不確実な時代。そして、変化の激しい時代。
本質というものが、すごく大切な時代だと思う。
だからこそ、Reハタラク。
ハタラクをもう一度、考えてみようと思う。
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