『百英雄伝』のコンセプトについて考える
先日60時間のプレイを経て『百英雄伝』をクリアしました。
全ての英雄は仲間にできたわけではなく、いわゆる完全クリア状態ではないので、その点を踏まえてこの先読んでいただけると幸いです。
私はSFC、初代PSのいわゆるJRPG全盛期の世代ではありませんが、それでも、このタイトルを楽しむことが出来ました。何よりゲームパスで遊べた点は非常にありがたかったです。
長いプレイを通して生まれた疑問がひとつ。
戦闘に参加できる仲間は主人公を含めて6人までなのに、100人以上の仲間を集めるゲーム性はどうなのかと。
そこで今回は『百英雄伝』のコンセプトはどのようにゲームに落とし込まれていたのか、またそこからどのような面白さが生まれたのか自分なりに考えましたのでお付き合いいただけると幸いです。
英雄100人仲間にできる意義、楽しさ
①:戦争を描いた物語だから
『百英雄伝』のストーリーでは大規模な戦争が描かれています。敵対勢力は強大で、やがて訪れる戦の為、こちらも仲間を集めることがゲームの大きな目的のひとつです。
100人以上の英雄を仲間にした体験を経ていることによって、戦争にはどれだけ多くの人の人生が絡んでいるのか実感ができますよね。
またそれと同時に、仲間が増えるにつれて、「こいつらとなら勝てる!」と
無謀な戦に対して希望を持たせることも成功しているのではないかと。これが数人、十数人の規模感だと感動指数は変わってくるでしょうから。
英雄を100人仲間にする意義のひとつの結論として、
戦争の大きさ、乗り越える強さの実感と見出しました。
②:拠点の利便性の向上とストレスの緩和
仲間にした英雄たちは戦闘要員としてだけではありません、「拠点」にて各々の得意分野を活かした役割を果たしてくれるのです。
『百英雄伝』における「拠点」とはパーティや装備の編成や買い物はもちろん、な、な、なんと、ミニゲームまで遊べちまうサービス精神。
しかも仲間にした英雄は拠点に移動するので、「こんなに仲間が増えたんだぁ」と、ささやかな達成感を感じる場にもなっております。
そんな拠点ですが、最初は出来ることが限られております。仲間を増やす度に拠点で出来ることを拡張されたり賑やかになったり、100人の仲間を活かした使用になっているわけです。
また『百英雄伝』のゲーム開始時には、以下のものが制限されており、少々ストレスを感じる場面も。
仲間が集まるにつれ、このようなストレスは緩和されていきます。
ただ正直この「緩和」の部分に関しては一長一短な気がしていて…。
とくに近代的な親切設計が施されたゲームに慣れていると、初期の不便な状態にストレスを感じ途中で離脱する人も出てくるんじゃなかと感じてしまうんですよね。
個人的な体感として仲間を集めた結果、マイナスがゼロになっただけという印象を私は感じてしまいました。
③:自分だけのパーティ編成
100人以上もの英雄が登場してきたら、そりゃ何人かは個性が被っていてもおかしくないと思いますが、出てくるキャラクターは本当に多種多様の個性を持っておりまして。
その中には見た目や性能に思わず惹かれてしまう奴もやはり何人もいて、自分の推しキャラクターだけでパーティを編成してみたいという楽しみ方も生まれてくるわけです。
特定のキャラを同時に編成することで連携技も使えるので、全員が連携技を使える編成を考えたりするのも楽しめました。
戦闘はシンプルなコマンドバトルなので同じ編成を使っていると飽きが来てしまう瞬間もありますが、その時は思い切ってパーティを丸ごと変更しちゃったり。
100以上もの英雄が登場するこの作品だから出来る味変ですな。
最後に
『百英雄伝』はコンセプトと物語がしっかりとシンクロしており、
コンセプトに適したゲームシステムも構築されているゲームだと実感。
まだゲーム内でやり終えていない要素もありますので
英雄全員を仲間にするまで遊びたいですし、
この作品を手掛けたクリエイターの過去作『幻想水滸伝』も
とても評判がよいのでいつか遊んでみたいと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?