中西紀二氏の講演会 in宮崎市
自身が中学校3年生の時に不登校を経験された中西氏の講演会が宮崎市で行われましたので、今回はZoomで参加しました。
2人のお子さんは発達障がい(自閉症スペクトラム)の診断を受け、2人とも不登校を経験されたそうです。環境を変えるために山梨県南アルプス市に移住したそうですが、結局、自分で不登校の子ども達のための施設を作ろうと思い立ち、体験型フリースクールを開校されました。
「みんなのおうち」の中で活動している、生き生きとした子ども達の様子からは、本来の子どもの姿が伝わってきます。また、クッキング、チャレンジ、グループ活動などの体験を通し、必要に迫られて文字や計算を自分のものにしていく様子からは、学校での座学では得られない、本当の学びが行われているように感じられました。 ここで大事にしていることが3つあります。
① 子どもの主体性を育むこと
・ 自主性~やることが決まっている中で自分から進んでやること
・ 主体性~やることは決まっていない中で、自分で考えてやること
※ 主体性は、自由がないと育まれない。
② 安心して過ごせる居場所であること。
安心できるとは、思いっきり自分が出せるということ。そんな居場所の中では、他の人を本当に素直に受け入れていくことができる。ケンカもバチバチやるが、いじめには決して発展しない。
③ 「教育」ではなく「共育」の場であること。
大人と子どもが対等な中で生活すると、子どもが大人をないがしろにするのではと心配になるかもしれないが、決してそんなことはなく、みんなとってもやさしい子に育つ。
「みんなのおうち」のスタッフの行動指針です。まさに、この3つの考え方を具体化したもので、不登校のいる保護者、学校の先生には是非是非知って欲しい、実行して欲しいものです。
中西氏が、2人の発達障がいのお子さんとの葛藤の日々を語られました。すごく、心に刺さるエピソードばかりでした。
① 不登校中の息子さんと2人旅に出たときの話
息子発言「学校に行ってないけど、ぼくはバカになっているのかなあ」
中西氏~親である自分の中にある、子どもにこうなって欲しいというエゴが少しずつ取り外されていくきっかけとなった出来事のひとつであった。発達障がいは克服するものではなく、個性としてそのままでいいんだよと受容してあげることだと考えられるようになった。
② 仕事をするようになった長男さんが仕事をしながら一生懸命メモをとっている姿を見ていた方の話
「仕事の手順を一生懸命メモしてるのかなと思い、手帳を見せてもらいましたが、その手帳には、自分を励ます言葉がびっしり書かれていました。」
(自分なりの方法で仕事を頑張る努力をしていたんでしょうね。すごいという驚きしかありませんでした。)←これは私の感想
③ 子どもが自己決定することを大切にしてあげることで、子どもは自ずと生き生きと輝き始める。
④ 不登校になりはじた頃、子どもが、学校に行けない自分を責める時期が一番つらかった。叱責、無理やり登校させようとすることから、子どもの気持ちに寄り添うことを考えるようになった。
⑤ 不登校そのものは問題ではないが、自分の居場所がなくて、自己否定するようになることが問題である。
⑥ 子どもが「死にたい」と言い出したとき、ビックリしてなんと言ったらいいか分からなかった。理由を問い正したり、相談機関に行こうと誘ったりしたが、そうではなかった。子どものその気持ちに「そうなんだね。」と相づちを打って、最後は、自分はその子に謝罪した。
(どのような謝罪の言葉かは言われませんでしたが、親と子の壮絶な葛藤の末の出来事だったと感じました。)←これは私の感想
講演会の演題である「子育てのゴール」は、子どもが「自分は自分のままでいい」という感覚、つまり自己肯定感をもたせることだと思う。というのがこの講演の結びでした。
不登校児童生徒は、都城市で300名を超えています。宮崎市ではすでに1000人を超えているようです。この中には、どこともつながることなく、自宅で悶々としている方も多くいるようです。
行政は、不登校の子どもの自宅を訪問などはしていると言うのかもしれないけれど、結果としてどこともつながっていない子どもや家庭があるということは事実です。「学校に行こう。」というオーラを出しながらの訪問では、心を開くことはできそうにありません。そんな気持ちを完全にリセットして、不登校の子どもにどのように寄り添えばいいのか考えていくよう、私なりの方法で行政に働きかけ、自分も積極的に行動していかねばと考えさせられる講演でした。