ルーブ・ゴールドバーグ・マシン? 何でもいいから、まず手を動かせ
はじめに
「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」というものをご存知でしょうか? これはアメリカのルーブ・ゴールドバーグという人が考えたマシンだということですが、
です。ちなみに
のだそうで、まさにそれをイメージしてほしいのですが、ともかく本来は
というものになります。たとえば、Wikipediaに載っている以下の絵は「自律型ナプキン」とでもいうべきシステムになりますが、
どう考えても、手で拭いた方が早くきれいに拭ける
といったあたりが風刺になっています。
ルーブ・ゴールドバーグ・マシンの話は「IT業界あるある」
ルーブ・ゴールドバーグ・マシンの話は、ITシステムの業界でも「非効率な業務フロー」という文脈でたまに持ち出されます。
その文脈とは、あるITシステム開発において、機能開発の話を真剣に議論しているものの、それはどこまでいっても個別最適の話で、システム全体から見るとむしろ本質ではないのではないか?というものです。たとえば、上の絵で言うと
Cのスプーンをもっと大きなものにしてはどうか?
Eの鳥を猫のような敏捷性の高いものにしてはどうか?
IとJの間の時計をデジタル時計にしてはどうか?
…等々が個別最適のアイデアがそれにあたります。個別最適のアイデアを個票のような形で各部門からヒアリングすると、きっとそれなりにたくさん集まるのでしょう。しかし、そうやって集めたアイデアは本質的に必要なものなのでしょうか?
たとえばこのシステムでは、本来そういった個別最適の類ではなく、
そもそもナプキンを手に持てばA~Mまでの全工程が要らないのでは?
といった、ちゃぶ台返しのようなところから議論を始める必要があるということです。これはIT業界における
「そもそも、このITシステムいらないのでは?」
といった疑問に相当し、その意味で「IT業界あるある」としてよく用いられるのでしょう。
ルーブ・ゴールドバーグ・マシンを作ってはいけないのか?
ただ、そのような議論は理想論から言えば、まことにごもっともなのですが、実際にはそのようにはなりません。むしろ、理想論こそが机上の空論と言っても良いと思います。
何故なら、現状でA~Mという多くの業務フローを一変に変更することは、それまでの業務を一変させ、社内に大混乱をもたらすことが予想されるからです。そもそも、A~Mという業務フローは何故生まれたのでしょうか? それは
社内特有の、何らかの理由があったから生まれた
のです。かつて作業者が何かのミスをして、そのミスを後工程で防ぐための冗長化として生まれた工程かもしれません。もちろん、現在では役目を終えた業務なのかもしれませんが、大前提として
業務は勝手に湧き出てくることはない
のです。「あるべき論」で業務を消してしまうと社内特有の事情が消えてしまうことがあります。なぜ生まれたのかの追跡調査は必要でしょう。
また、システム改修に関して、それらの予算はどこから出るのか?といったリアルな金の話も出てきます。そのうえ、A~Mの各部門で、ユーザーは一生懸命に働いており、働き甲斐を持ってそれぞれの仕事を行っていた人たちの仕事を変えていいのか?といった感情論も出てきます。そんなこんなで様々な議論に振り回されると、「それなら今も仕事ができているからいいか」というところが最後の落としどころとなり、たいていは業務改革など行われずにいくつかの個別最適が行われて終わることがほとんどです。
DXとは、本当に必要な業務フローを書き出し、そこに必要な業務だけに絞ってデジタル化を進め、新たに生み出された工数や人材を使って、新規ビジネスを創出することです。しかし、実際にはそうなりません。ではどうしたらよいのでしょうか?
ルーブ・ゴールドバーグ・マシンは作ってもいいと言える理由
実はDX時代のデジタル化において、一つ大きな変革点があります。それは
各工程のデジタル化に必要なコストが昔に比べ大幅に安くなった
ということです。場合によっては、ほぼゼロ円で実施できる業務も出てきたことでしょう。たとえば、何らかの業務文書のやり取りも
「封筒→Fax→メール→Slack」と変わるにつれ、段々コストが安く
なっていることは明らかです。なので、これまでFaxで送ってもらっていた注文書を、
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