「自分に許可を出す」という考え方に対して感じる違和感
みなさまこんにちは。今日は「自分に許可を出す」という考え方への違和感について書いてみたいと思います。
よく「どんなネガティブ感情を持ってもいいと自分に許可を出しましょう」とか「ありのままで生きてもいいんだよと自分に許可を出しましょう」といったような言葉を聞きます。
ただ僕はどうしてもこの「自分に対して許可を出す」という発想そのものに違和感があるんです。
というのも「許可を出す」という行為は、そもそも「禁止されている状態」に対して行われるわけですから、それはつまり自分に対して何かしら「禁止されている状態」があるということになります。
だからまず考えるべきなのは「なぜ自分は禁止されている状態にあるのか」ということ。つまり「禁止」に至るまでの歴史や背景を紐解くということが重要なのです。
また「自分に許可を出す」という発想に囚われている限り、もし仮に自分に許可を出すことはできるようになったとしても、根本的な「禁止状態」は残っているわけですから、本質的な解決には至らないということになります。
別のことに例えるならば「この門の通り抜けは禁止します。もし通りたい場合には許可証が必要です」という場所を通るたびに「通行許可証」をわざわざ用意しているようなものです。
僕が言いたいのはこの「通行許可証」を毎回準備するのではなく、いっそのこと「許可証が無くても通れる門にするにはどうしたらいいか?」を考えるほうが大事だということ。
それはつまり「通行許可証」が無いと通れない「禁止状態」を壊すということであり、その「禁止状態」が終われば必然的に自由がやってきます。
だからまず目を向けねばならないのは「自分に許可を出す」ということではなく、その発想の背後にある「禁止」を消滅させるということなのです。