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【孤独の正体】

こんばんは。今日は「孤独」ということばについて、僕の考えをつらつら書いていこうと思います。


▷孤独はあたりまえ

孤独、一人でいること。これは「人生を味わう」ということ。こういうことを最近考えるようになりました。

なにもこれは、「一人でいる俺ってかっこいい」とか、「俺には友達なんかいらないぜ」という類のものではないです。


「一人でいること」が、人間にとって“あたりまえ”のことであり、どこまでいっても、人間は孤独であることに気づいたということ。

そして、もっといえば、「孤独」と「孤立」の違いについて、自分の中で納得感を得られたということです。


▷孤立との違い

どこが違うのか。

孤独とは「一人の時間を味わうこと」である一方で、孤立とは「一人の自分を否定すること」です。


以下の作り話で、「孤立」について、もう少し詳しく説明します。

とある6人ぐらいの友達グループに属しているAさんがいます。ある日突然、そのほかの5人から省かれるようになりました。
さて、この時にAさんは何を想うでしょうか?


もしこの時に、Aさんが「悲しい辛い。なんでこんなことになるの…」と思うのであれば、それは「孤立した」という表現が良いのかもしれません。

一方で、「そういうことをする人たちなら早めに別れて正解」と思うのであれば、「孤立した」という表現は当てはまりません。


つまり、「孤立」というのは、“自分の心が決めるもの”であり、必ずしも「省かれた」といった状況だけでは判断できない、ということになります。

まぁこんな偉そうなことを書いている僕自身も、ここでいう「孤立」に苦しんだこともあります。


▷孤立に向かいやすい現代

「孤独を受け入れる」というのは、そう簡単なものでもないです。

今の世界、いつどこにいても、誰が何をしているのかという情報が目に入ってきます。

「あの人はこんな楽しいことしてるんだ」
「この人は毎日嬉しそうだなぁ」
「みんな幸せな人生を送ってるんだ」 etc…


それに比べて自分は、、、と。

そんなことを思ってしまう“罠”があちこちに転がっています。


本当は、幸せそうに見えるあの人も、実は「孤立への恐怖」を持っていたり、「孤独を楽しもう」と奮闘していたり。

もしかしたら、そんなこともあるかもしれません。


みな、「孤独」と「孤立」について、それぞれの世界を持っています。

どれが正解でも、不正解でもない。でもだからこそ、「孤立」に向かっていってしまうのもまた事実かもしれません。


▷孤独の正体

生まれる時も一人、読書をする時も一人、失恋して泣いている時も一人、寝る時も一人、そして、最期を迎える時も一人。

人間はどこまでいっても、必ず誰しもが「一人の時間」をもっています。


「一人の時間」があることを受け入れて、それを心が味わうということ、それこそが、「孤独」の正体であり、人生が豊かになる重要な要素です。

この認識をまず持つこと、そして、それがまだ出来なくとも、そこに向かって生きていることも、また「孤独」である。


そうやって生きていくと、見えていく景色が少しずつ変わってくると思います。


▷今回の記事のまとめ

最後まで最後までお読みいただきありがとうございました!

今回は「孤独」ということばについて、「孤立」を引き合いに出しながら、自分なりの定義を考えてみました。


ちなみに、10月31日までこんな企画をやっています↓


参加してくださった方のnote記事は、Twitter、stand.fmでもご紹介させていただくので、ご興味ありましたらコメントください!

では、今日は以上でーす!


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