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読書の力
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現代の若者は、テレビ、映画、ゲーム、ネット動画などの映像文化に親しむ反面、活字離れが心配されています。芸術性、写実性、物語性において、映像文化も文字文化もそれぞれに優れた面を持っていることは言うまでもありません。しかし、映像文化が如何に発達したとしても、文字文化の重要性に変わりはありません。
映像によるストーリーの展開は、理解はしやすいのですが、記憶には残りにくいといいます。過去に観た映画がとても面白かったことや号泣するほど感動したことは覚えているが、ストーリーの展開をあまり覚えていないという経験が少なからずあるはずです。つまり、即時的で臨場感があり、感性に訴える力は強いのです。
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一方、文章によるストーリーの展開は、読みこなすのに時間はかかりますが、記憶に残りやすいという検証結果が出ています。
例えば、小説における人物像や人間関係は、人物像を表す言動や心情を積み重ねながら作り上げ、登場人物相互の関係性を示す表現に着目し、それらを再構築する作業が必要であり、論理的な思考も深まります。
それをしない分、映像は記憶力や集中力をあまり必要とせず、脳はかなりリラックスした状態になりますが、読書では脳が緊張して集中しており、それがストレスマネジメントに効果的であるという報告もあります。
読書の効果の中心は、疑似体験と知識の獲得です。自分が経験しないことを、教訓とともに学び、疑似体験することができ、新たな知識も身につけることができます。特に伝記を読むことは、多くの人々の幸せを願い、道を求める生き方を貫いた人物がいたことを学ぶことであり、自分にできる気高い行為の一つであることは間違いありません。
小説では、登場人物一人一人が異なる個性や価値観を持っていて、それらが交錯する中から、作家の重視する価値観が主張されていきます。様々な価値観を知ることで、自分の価値観も鍛えられていきます。これらを認識するのは自らの感性と理性の力です。
芸術性に富む薫り高い文章に触れると、心は豊かになります。読書をすれば語彙力や表現力を身につけることができます。語彙力の獲得は、国語辞書を端から暗記するというやりかたではなく、文脈の中で捉えるため、その言葉の微妙なニュアンスの違いを感じることができます。「彼女は志望校に合格して泣いた。」「彼女は志望校に不合格になり泣いた。」同じ「泣いた」でも意味はまるで違います。泣き方まで違ってイメージされるでしょう。
よく「行間を読む」のが小説の醍醐味ともいわれますが、行間を読むとは、文字では書かれていない部分や、言葉では言い表せていない部分を、登場人物の言い方や顔つきをイマジネーションしながら、本当の気持ちや意図を読み取ることが「行間を読む」ことなのです。行間を読むためには、その場面の時代や背景を理解した上で、深読み、推察、解釈、想像などの脳の営みが必要になります。動画では、この部分を監督や役者がすべてやってしまうので必要ありません。おまけに音響効果で心理的な予兆も与えてくれます。
本を開けば、古今東西、時空を超えて、どこにでも行け、誰とでも話せ、どんな人物にも、猫にも、カモメにもなることができます。自分が今まで考えられなかった思考パターンで物事を考え、情報を捉えられるので、今まで気づかなかったことに気づくことができます。
天才科学者アインシュタインは「イマジネーションは知識よりも重要」と言っており、目には見えないものを想像する力は、読書によって鍛えられるのです。
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセの詩に、「書物」と題する詩があります。
「この世のどんな書物も
君に幸福をもたらしはしない
けれども書物はひそかに君をさとして
君自身の中へ立ち返らせる
そこには太陽も星も月も
君の必要とするいっさいがある
君が求めている光は
君自身の中に宿っているのだから
君が長い間
万巻の本の中に求めた知恵は
今どのページからも光っている
なぜなら
今その知恵は君のものとなっているから」
つまり、同じ作品でも読み手によって、読む年代によって、読み方が異なるように、読書によって知識や物語を獲得しても、それだけでは幸福にはなれず、読書という行為を通じて、脳を活性化し、表現の妙を味わいつつ、自らの経験や知識を拠りどころとして、イマジネーションを働かせ、深く思索を巡らし、著者の思いを自らの思いに照らして、それらを反芻してこそ読書の力は初めて光を放つ知恵となるのです。