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巧妙な「重層防御構造」をもつマルクス主義
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カール・マルクスの『資本論』は、あくまでも資本主義社会の分析をもとに描かれた未来予想図であって、資本主義社会に重要な警鐘を鳴らした名著であることは間違いありませんが、共産主義社会の分析や設計図を示してはいません。
もし、マルクスが生きていれば、成熟した資本主義社会とは程遠かった当時のロシアが戦争継続に反対する国民の不満に乗じて、一国で革命を成し遂げてしまったことに、「えっ、まさか!それは違う!」と疑問に思ったでしょう。
マルクスやエンゲルスは、自らの思想を科学的社会主義だと言っていますが、共産主義が資本主義より優れているという考察や証明は一切行っていません。
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科学哲学者のカール・ポパーは、マルクス主義は、科学を自称しているが、「反証可能性」がないため科学ではないと指摘しています。つまり、論理的に立証ができていないので、決定的な反証も出しにくいのです。そのため、長く生き延びてしまう可能性があるのです。根拠のない陰謀論が、いつまでも生き延びるのと同じです。
そして、このマルクスの理論にもとづいて、レーニンが指導したロシア革命は、レーニンの「マルクス主義は真理であるがゆえに全能である」という言葉に象徴されるように、無謬性を説くイデオロギーという性格を持っています。
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独善を戒め、没価値性(価値自由)を説いた社会学者のマックス・ウェーバーは、マルクスの唯物論哲学を原理上ことごとく否定し、歴史の客観的な法則を発見したというのは詐欺であるとまで批判しています。
マルクス主義は、マルクス経済学、唯物史観、唯物弁証法の三つの要素から成り立っていますが、マルクス主義に傾倒してきた人たちは、経済の議論で破綻をきたすと、歴史の流れを無視していると反論し、歴史の実証で弱点を露呈すると、哲学を知らないと反駁し、哲学論争で敗れれば、経済の現実を知らないと反駁してきました。いつも論破されたことを認めず、次の聖域に逃げ込める構造になっているのです。
これをオックスフォード大学のシートン教授は「重層防御構造」と表現しました。つまり、マルクス主義は、イデオロギーとして巧妙にその無謬性を守り続けてきたのです。
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アメリカの政治学者で、ジョンソン、カーター両政権に参画したズビグネフ・ブレジンスキーは、「共産主義とファシズム、ナチズムは歴史的に関連があり、政治的にも類似している。いずれも、階級対立などへの答えとして生まれたものであり、社会的憎しみを社会正義という理念で包み、社会を救済する手段として、国家の組織された暴力を正当化するにいたった」と分析しています。つまり、根っこが同じ全体主義思想だったからこそ、ナチズムによる「ホロコースト」とスターリニズムによる「大粛清」という悲劇が起きたのです。
現代社会の矛盾や問題が深刻化すればするほど、人々は不満をつのらせ、政治へその怒りをぶつけようとします。しかし、それはラディカルな思想を持つ人々にとっては、好都合な状況といえるのです。
今日の修正資本主義のもとでも、かなりの数の人々が負の影響を受けていますが、彼らを単純に「ある意味でプロレタリアート」だと一括りにし、反社会的な方向へと導こうとする動きが強まっていけば、ポピュリズムが台頭し、国民に分断と対立が激化し、人々は兎に角何でもいい、現状を変えられるなら変革に期待してみようという方向に流されていきます。
いかなる思想や経済理論が隆盛を極めようが、歴史の教訓が示しているように、排除すべきは、言論の自由にもとづく批判を許さない独善と暴力であり、守るべきは人間としての自由と平等、そして地球環境と未来なのです。巨大地震やパンデミックのような困難な状況においてこそ、不満に乗じて分断と対立を煽るのではなく、品性を保ち、冷静に議論し、知恵を集めて、団結すべきなのです。