地球に危機が迫っている~レイチェル・カーソンの真実の訴え~
「ねえ、レイチェル。金曜の夜、ダンスパーティーがあるわよ。一緒に行かない?」「せっかくだけど行けないわ。その日は、別の約束があるのよ。」にっこり笑って断りましたが、ほんとうは別の約束などありませんでした。彼女はダンスパーティーよりも勉強したり、本を読んだりしたかったのです。それに、新しいドレスを買って出かける余裕など、レイチェルの家にはありませんでした。
このレイチェル・カーソンこそ、後に「歴史を変えた一冊の本」といわれた『沈黙の春』の著者です。カーソンは、アメリカの有名な作家であると同時に、海洋生物学者でした。『沈黙の春』とは、本来、春は生命の息吹にあふれていますが、今のままでは、春がきても小鳥は鳴かず、世界は沈黙に包まれるようになるというものです。彼女は、世界ではじめて、地球環境に危機が迫っていることを教えてくれたのです。もし彼女がこの本を書かなかったら、地球環境が破壊されていることに人々が気付くのがもっと遅れていたでしょう。
スイスの化学者パウル・ミューラーは、DDTの殺虫効果を発見し、医学・生理学部門でノーベル賞を受賞しています。DDTを空中散布するパイロットには、面積ではなく、散布液の量によって日当が支払われたので、殺虫剤を必要以上に大量に散布しました。
彼女は、農薬や殺虫剤などを大量に使用し続けた場合、自然の生態系や人間はどうなるのかを鋭く問いかけ、化学物質による環境汚染について真っ先に警鐘を鳴らしました。
「環境汚染」という言葉すらない時代、人間にとって便利で有益でさえあれば、それが他の生物や自然界にどんな影響を与えるかなど誰も省みようとはしませんでした。環境汚染の全貌を明らかにすることは、途方もなく大変なことでした。専門外の化学や医学の分野にわたる知識と情報を収集し、何百という論文を読み、それぞれの専門家に確認しながら、粘り強く論証しなければならなかったからです。
『沈黙の春』は、出版されるやたちまち大反響を呼ぶと同時に、すさまじい攻撃にもさらされました。あまりにも恐ろしいことが書かれていたので、それを信じたくないと思った人もいたのです。何とかして彼女の信用を傷つけようとする非難中傷が次々とあびせられました。農薬や化学薬品の製造会社からの攻撃はすさまじいものでした。「カーソンの本は農薬より有害だ。」「カーソンが、心配しているのは、人間のことではなく、昆虫のことなのだ。カーソンの言うとおりにしていたら、地球は害虫だらけになってしまうぞ。」中には、共産主義者の陰謀だとか、自然科学の博士号を持っていないことに言いがかりをつけるものもありました。全米で読まれている雑誌『タイム』でさえ、初めは「国民を恐怖におとしいれた」と批判していました。
しかし、彼女は屈することなく戦いました。「もしもわたしが沈黙するなら、わたしの心に安らぎはないでしょう。」きちんとした調査にもとづいており、科学的証拠に裏づけられていたため、いつか人々が真実に気づくことに自信がありました。次第に人々は、「カーソン女史の科学的能力は完璧」であり、「正確な資料で裏づけられている」と支持は拡大していきました。
彼女自身、ガンにおかされながら、数々の講演や議会での証言を行いました。アメリカ政府は、この本を冷静に受け止め、内務省長官は、事の重大さに気づき、ケネディ大統領は農薬の使用に関する調査を指示し、政府はレイチェルの見解がまったく正しいものであったという報告を出したのです。
彼女の死後、まとめられた彼女の著作『センス・オブ・ワンダー』の中で、カーソンは、こう述べています。「地球の美しさと神秘さを感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれたりすることは決してないでしょう。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力を持ち続けることができるでしょう。」
本書で描かれているのは、レイチェル・カーソンが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森の自然です。その美しい海岸と森を、彼女は姪の息子のロジャーと歩きながら、雨を吸い込んだ地衣類の濡れた感触を楽しみ、天空の星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませます。自然にふれ、自然と対話するロジャーの反応を、レイチェル・カーソンは詩情豊かな筆致でつづっています。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけています。
わたしたちも、この書を読めば、幼い頃、自然の中で遊んだ記憶がよみがえり、水の冷たさ、太陽の日差し、木々の匂い、春夏秋冬の変化の中で色とりどりに移り行く風景、こうした自然の恵みに、わけもなく込み上げてくるワクワクした感じを思い起こすでしょう。また、時には、小さな自分を遥かに超える自然の大きな力に触れ、震えるくらいの恐れを感じたこともあったのではないでしょうか。そのように自然をあるがままに感じ、それに深く感動する力のことを「センス・オブ・ワンダー」と呼ぶのです。誰しもが子ども時代を振り返ると、そのような体験があるはずです。
自然界の生命は、絶妙なバランスで成り立っていて、自分だけでは完結できないように作られており、例えば、花はおしべとめしべがそろっているだけでは不十分で、風や虫に仲立ちしてもらわなければ受粉はできません。虫によって仲介してもらわなければならない虫媒花の花粉は重いため、風では飛べず、虫に頼るしかありません。虫は熱を感知するセンサーを持っていて、太陽の方を向いて花芯を暖めている花の中心に向かって飛んでいくのです。ですから、農薬や大気汚染で虫の数が激減すると、虫媒花自体も危機にさらされることになります。
レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「自然のもつ神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いでした。そのために必要なことは、「わたしたちの住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことだと訴えています。
環境問題が、人類の生存を脅かす最大の脅威といわれる現在、彼女の警告している通り、「わたしたちは、自然の支配に熟達するのではなく、わたしたち自身を制御する面で熟達」しなければならないのです。