松尾 英明

小学校教員。教育関連の記事や書籍を発行しています。

松尾 英明

小学校教員。教育関連の記事や書籍を発行しています。

最近の記事

  • 固定された記事

誰も救わない優しさに『不親切教師のススメ』

「食事を抜いても読書は欠かさない」というぐらい、読書を大切にしている。 (単に好きなだけである。) 当たり前だが教育関連の書籍は否が応でも読む機会が多くなる。 また放っておくと、哲学的なものやドキュメンタリーなどにいきがちなので、小説も意図的に読むようにしている。 小説だと、毎年の本屋大賞の本は読む。 2023年の本屋大賞受賞作品である、次の本を読んだ。 『汝、星の如く』 凪良ゆう著 講談社 小説を読む時は、特に心に残った台詞や文章を書き留めておくようにしている

    • 主体的な学級づくりにおける3つの重要ポイント

      今年度、校内の若手に向けての研修で話した内容をシェアする。 「親切」が過ぎてついやりがちな「下手うち」を減らすための話である。 主体的な学級づくりにおける重要ポイントとして、次の3つを挙げた。 1「やってあげるな」これは 子ども(保護者)が「自分でできる」ことは、極力やってあげない ということである。 (保護者)と書いたのは、保護者に対しても同様のことがいえるからである。 何でもやってあげる学校や教師は、余計な仕事を増やすだけでなく、保護者をも依存的、他責的にさせる

      • 話が聞ける学級を作るコツ

        学級は組織である。 組織においては、一つの目的に向かいつつ、個々が活動をする。 そこには活動の方向やルール(規則性)を示し、秩序を保つ存在が必要である。 学級という組織では、教師がその役割を担う。 指示の最たる手段は、言語である。 低学年などでは絵で示すことも多いが、授業の全てを視覚的手段で行う訳にはいかない。 文字言語だけでなく、音声言語がどうしても必要である。 特に集団規模が大きいほど、話すよりも聞く時間の方が圧倒的に多くなる。 つまり「話を聞ける」ということは、学級づ

        • 家庭が協力しやすい体制をつくる

          (以下の自分のメルマガ記事の転載で、4月の話で恐縮だが) X界隈で話題になった記事をみて、真似してみた。 何かというと、学年便りにおける、必要なものの 年間計画のお知らせである。 例えば、アサガオの栽培に使うペットボトル。 水泳の時期に使うもの。 歯みがき指導教室の際に使う牛乳パックを切ったもの。 図工で使うお菓子の箱。 諸々あるが、大体この時期に使うとわかっているものが多数ある。 これらを大体何月にこれを使うと、ざっくりお伝えするものである。 放っておくと捨ててしま

        • 固定された記事

        誰も救わない優しさに『不親切教師のススメ』

          叱る勇気とは

          「叱るは悪くほめるは良い」というのは、少し前には流行ったが、今ではすっかりなりを潜めた理論である。 ちなみに私は「褒めて伸びるのは普通レベルまで」というのが持論である。 (元々は、私のオリジナルではなく、友人の言である。) 次の本から。 この本の主張の中心は 「叱る」ことと「押し返す」こと のバランスの大切さである。 以下は、この本を読んだ後の私的な所感である。 叱られない世界。 理想的であるように思われている。 これは、全くの誤解である。 人間は、誤る。 それは、

          叱る勇気とは

          学級経営において最も大切なことは何か

          学級経営において最も大切なこと。 それは、「聞く力」のある子ども集団にしていくことである。 そのやり方や考え方については次の本に詳しく書いた。 先日、校内研修会でも話をさせてもらったので、ここについて記す。 この本の中では、ざっくりと捉えられがちな「聞く力」を3つに分けて考えている。 1 聞く心 2 聞く頭 3 聞く体 1~3の番号は、序列、重要度でもある。 そして、指導のしにくさの順序でもある。 聞く心とは何か。 聞こうとする気持ちのことである。 関心や意欲といっ

          学級経営において最も大切なことは何か

          「リーダー」役割3選

          学級担任は「リーダー」である。 自治的学級を志向しようが、やはりリーダーである。 色んな説があるが、それはやはりそうだと考えているので、その立場で書く。 日本では「リーダー」と言う言葉が曖昧であるという。 リーダーには、3つの役割がある。 1 最終責任者 2 方針を示し、集団の同意を得る役割 3 業務を指示する役割 上記に挙げた3つは、どれも違う役割である。 最終責任者は、管理職である。 会社で言えば最高経営責任者(CEO)が該当する。 つまり、学級担任はそこまでの役

          「リーダー」役割3選

          集団の上下関係と中心の有無考察

          次の本からの気付き。 『「人の世界」と「物の世界」』出光佐三 著  春秋社(2014) 我々の中心に何が来るか、という話である。 物が中心に来ると、そのために人が存在することになる。 人が中心に来ると、そのために物が存在することになる。 では、民主主義はどうだろうか。 人が中心と言えそうである。 しかし、この考えも、自己が中心となった時点で、結局物が中心となり、誤った方向へ行く。 著者の出光佐三氏は、この民主主義そのものに、日本が教わることはないと述べている。 「物の

          集団の上下関係と中心の有無考察

          フォローが命

          半年前になるが、山口県の中村健一先生が千葉県を来訪しての研修というチャンスがあり、そこの一日講座を受けた。 授業のネタ、怒涛の数十連発である。 ここについてはご本人の著書を見ればわかるので割愛する。 本質は、そこではない。 一つ一つの、ネタの裏にあるねらいの方である。 一つのネタを使うにも、片々の技術が散りばめられている。 特に強調されていたのが「上條理論」(東北福祉大学教育学部 教授 上條晴夫氏による)の 1 フリ 2 オチ 3 フォロー の流れである。 教師は特

          フォローが命

          「〇〇を知らないと恥ずかしい」考察

          日本は「恥」の文化であると言われる。 調べると、アメリカの文化人類学者R. ベネディクト氏が『菊と刀』という本の中でそのように述べているという。 (一方、ヨーロッパやアメリカは「罪」の文化であるらしい。) 今回はこの日本文化である「恥」を初等教育の視点から考える。 問:次の〇〇に当てはまる言葉は何か。 (〇〇の文字数は問わない) 「〇〇を知らないと恥ずかしい」 様々な回答が考えられる。 多く考えられるのは、常識的知識や、マナーの類である。 知らないことが「常識外」だか

          「〇〇を知らないと恥ずかしい」考察

          若手の研修の場があるか

          学級づくり修養会HOPEでの学び。 国語の授業作りについて語り合った。 様々な提案が出た中、本の編集者であるメンバーから 「学校には、若手に伝える仕組みはあるのか」 という質問が出た。 本を出す仕事をする人からすれば、それは相当な関心事である。 たとえ本を読まない人であっても、そのような仕組みが校内にあれば、教育技術は伝達されるからである。 ちなみに私の勤務校には、これがはっきりと存在する。 若手のみ全員参加であとは任意という研修が月に最低一回は設定されている。 講師

          若手の研修の場があるか

          ヒトは人によりて人となる

          9月5日(木)に放送のABEMA Prime に再び出演の機会を得た。 上記はダイジェストのyoutube版であるが、この先も消えないことを考えてこちらを貼り付けておく。 (フルバージョンのABEMAの方は、会員でないと一定期間しか視聴できない模様。) 生放送で展開が予想しきれないのは毎回のことなのだが、突然本題とは全く違う方向性の問を投げかけられた。 これ自体、議論にすらならない問ではあるが、意外にもこれは多くの人の関心を買ったようである。 人以外の動物が人間の赤ん

          ヒトは人によりて人となる

          『東京都同情塔』に人は同情できるか

          歴史に関する話が続いたので、今回はエッセイ。 テーマは「寛容」。 第170回芥川賞の次の作品を読んでの気付きを徒然なるままに書く。 『東京都同情塔』 九段理江 著 新潮社 新潮社のHPにあるように、「究極の寛容社会」となった架空の日本が舞台となっている。 しかし、自身が元被害者ということもあり、そこに対して寛容になれない天才建築家である主人公。 超寛容社会においては、常に自分自身の安全・安心が脅かされ続ける。 犯罪者は「哀れな人」であり、どんなひどいことをしたとしても

          『東京都同情塔』に人は同情できるか

          誰にでもできる小6日本史歴史授業の改革

          小学校における歴史の授業は、改革が確実に必要である。 自虐史観の強い教科書の改訂もさることながら、授業自体の改革が急務である。 ここで少し「自虐史観」についてふれておきたい。 「自虐史」を教えられてきた自覚が、どれぐらいあるかがまず問われる。 こういう記事をわざわざ読むような方は、自覚症状がかなり強いことが予想される。 そうだとすると釈迦に説法ではあるが、少しお付き合い頂きたい。 (特に近代の)歴史のどの場面でもいいのだが、印象的なものを一つ思い浮かべて欲しい。 どれぐら

          誰にでもできる小6日本史歴史授業の改革

          各国の文化や意見の尊重

          日本のオリンピック選手が「知覧特攻平和会館」に行きたいと発言したことが各所で話題になっている。 これに対し、中国や韓国の選手が「(その選手のSNSの)フォローを外した」という反応を示したという。 お国柄もあり、国の代表という立場があって仕方のないことなのかもしれない。 本来であれば、友人や知人に自分の意に反する言動があっても、あからさまに切るのは望ましくない。 自分と意見の違う人と全く接さないのは危ない。 「〇〇党」支持派だから「△△党」支持派の人とは一切関わらないという

          各国の文化や意見の尊重

          日本について堂々と教えよう

          先週は、二つの原爆記念日があった。 今週8月15日は、全国戦没者追悼式がある。 戦争について知ることは、世界の中の日本について知るための重要な入口になる。 国家についての考えを深めることは、学校教育の中でも最重要の学習内容といえる。 しかし残念ながら、ここが日本の教育の最も弱い部分であるともいえる。 例えば通常、子どもたちに、天皇についての事柄をきいても、ほとんどわからない。 「日本で一番えらい人」ぐらいの知識、認識のみである。 周囲の大人に教えられていないのであれば、ある

          日本について堂々と教えよう