村上春樹から学ぶ「何もない」ことの強さ #スロー・フロー・ブログ
小説は普段ほとんど読まないのですが、村上春樹さんの「職業としての小説家」という本が大好きなんです。
村上春樹さんが小説家になったいきさつ、そもそも最初の小説をなぜ30歳で書こうと思ったのか、オリジナリティーについて、小さなバーを経営していた20代のころの苦労や喜び…など、「村上春樹がどのようにしてできあがったのか」をリアルな言葉と、村上小説に登場するような独特な言い回し、踊るようなリズミカルな文体で読めるとても愉しい本です。
中でも、何かを表現したいけれど何を表現したいかわからないという人に向けた、この本の一節にいつもエネルギーをもらっています。
そういう人が他にもいたら伝えたいと思ったので、今日はそれをシェアしてみたいと思います。
29歳のときにはじめて小説を書いた。
村上さんは29歳のときにはじめて「風の声を聴け」という短編小説を書き、『群像』という文芸誌の新人賞を取ったことを機に、30歳で小説家としてのキャリアをスタートさせたそうです。
意外だったのがこの一節。
とあるスポーツリーグを観戦しているときに、すと小説を書こう思い立ったそうなのですが、いざ筆を執ってみると書くことが何もなかったそうです。
そして、「何も書くことがないということ」を書いてみようということで、それを物語に落とし込んでああでもないこうでもないと半年間かけて、一本の小説が完成したといいます。
日常から素材を集めて組み立てる「E・T方式」
このときの制作スタイルを村上さんは「E・T方式」と読んでいて、この喩えが個人的になんとも言えずグッとくるのです。
なぜ、「E・T方式」なのかというと、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『E・T』の一場面に、宇宙人である E・T が物置のガラクタを即席で組み合わせて通信装置を作り、何千光年も離れた母星とコンタクトを取るというシーンが元になっているからです。
僕だけでしょうか、なんだかワクワクしませんか?笑
絵、文章、写真、音楽、建造物、その表現手段はそれぞれあると思うのですが、何か自分の内側にあるものを表現したい、形にしてみたいという人にとって、とても希望あふれる一説だと思うんです。
だって、人が驚くような体験や、世の中にインパクトを与えるメッセージがなくたっていいんだから。
ただ淡々と過ぎる日常を生きる、そのままの自分がいればいい。
村上さんの表現を借りれば、「健全な野心をもって日常を観察する対の目」があれば、十二分に創作する準備は整っています。
木が沈み、石が浮く。
普通では起こり得ないことが起こるという意味で「木が沈み、石が浮く」という表現があるそうです。
村上さんは、芸術の分野においてはこういう逆転現象がよく起こるといいます。
昨日投稿した記事でも少し触れたのですが、僕は特別な出来事や何かを達成する喜び以前に、「日常を愉しむこと」こそ、心の安寧や結果的に幸せな人生につながってゆくと思っています。
こういうことを普段から言っているから、最近よくおじいさんみたいだねと言われるのですが(笑)
幸せの種は意外と周りに落ちていて、遠いところにあると思っていた成功や人生における満足を今味わえる人が増えたら、自分や人を犠牲にしてまで必死に走り続けなくてもいいんじゃないかと思っています。
創作の話とは少しずれてしまいましたが、僕が言いたかったのは、そんな何気ない日常を観察すれば僕たちは幸せにもなれるし、独自の表現にそれを活かすことだってできるということです。
今日はこの辺りにしようと思います!
お読みくださりありがとうございました。
noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。