【歌詞解釈】小松未歩の『Last Letter』を本気出してN曲に仕立て上げてみた
隔月恒例、考察という域を超えて妄想をお届けするシリーズの第19弾。
小松未歩の1曲だけで1時間話すという企画の一環として執筆する、
下書きというかカンペとなります。
開催は今月末12/20。
興味のある方は是非覗きに来てくださいませ!
N曲ってなに?
まずタイトルに疑問を抱く方が大多数でしょう。
これは身内だけで通じる暗号みたいなもので
小松未歩は長戸大幸に見いだされたけど
途中から全っ然プロデュースに関わらなくなったことを揶揄することを歌った歌詞である、という
勝手に私が提唱している説を示す通称になります。
最初はあんなに大型タイアップを勝ち取ってきたり熱心だったのに
途中からぱったりそういうのがなくなったことがそう思う所以です。
そう、まるで捨てられたみたいに。
それを大衆向けにラブソングっぽい表現にしてるのかも~
などと妄想しているわけですね。
個人的感触ではほとんどの楽曲にそういう要素を感じております。
それをボカして「N曲」と
これまでのラジオや旧Twitterで扱われてきたのですが
主催者の品川さんが「どっぷりと小松未歩に」なんて表現したので
ここで一度はっきりと明言してみた次第です。
では改めて、この曲がN曲とはどういうことなのでしょうか。
あなたのプロデュースなしでも私は歌い続ける
雑談しながら歩くその道の途中、
向こうから同僚がこっちに来るのが見えた。
最近売り出し中のその人はきっとこの人に用事があるに違いない。
「ちょっと忘れ物した」なんて言って先に行かせて
その人と鉢合わせることにしてみた。
思惑通りばったり会って打ち合わせじみた会話が始まる。
うん、それでいい。
それがきっとあなたの成したいことへと繋がることだと思うから。
そして。これを機に、あなたとは疎遠になってしまったと今なら感じる。
その選択が、今の自分に繋がっていると思う。
もしかしたら当時はまだ私に期待していたのかもしれない。
でもこの道を選んだのは私。この時の選択を、許さなくていい。
あなたの生き方に私の存在は少し抵抗になっていたような気がする。
上手くできなくてごめんね。
誰かみたいに、もっとうまく立ち振る舞えたらいいのに。
自信のない自分でごめんね。
そんな自責の思いから、身を引くことを考える自分でごめんね。
あの日からどこかあなたを避けて暮らしていた。
何かしら会えない理由を作って会わないようにしていた節もある。
あなたに頼らないという選択肢を選べば
あなたの生き方が成就して私も一人で生きられる、とそう信じていた。
決別、という意味も込めて思い切って長かった髪を切った。
そんな自分の顔にも見慣れたころ、一つの手紙が届く。
「この度どこどこに転属することにしたよ。今までありがとう」的な内容。
あぁ、もう会えないかもしれないな。
自分で選んだ道だけど、涙で視界が揺れる。
これでほんとに、あのころには戻れないんだと悟る。
社交辞令的なことしか書かれていないその手紙を改めて見て
やっぱりあなたに大切にされていいのは自分じゃなかったと思い至る。
あれから数年経って、私はまだこうして歌を歌っている。
あなたとの日々を思い浮かべ切り取っては歌詞にしたためてみた。
それでもこうして歌い続けていられる。
こんな日々も、悪くないかもしれない。
あなたと過ごした日々は欠片となり、風に乗り世界中へはばたいゆく。
これが私の辿った結末。
――わたしはまだ生きている――
ふとそう思いだした12月でした。
Afterword
この曲が収録されているのが6thアルバム。
3rd4thがやたらと逡巡している内容で5thで対峙、
6thで開き直ったイメージというイメージを私は抱いているので
こういう解釈になりました。
具体的に名前を出すとしたら
倉木麻衣、愛内里菜あたりのヒットを引き合いに出していたり……?
と妄想しています。
まぁあとはここに恋心を抱いたかどうかが重要だと思いますが
あえてそこには言及しません。無粋の極みだと感じるからです。
まぁどっちでもいいじゃないですか。
恋愛は芸の肥やしとも言いますし、
別にそうでもそうじゃなくてもいいじゃない。
そんな感じで。
影響されないようにまだスピーカー記事は読んでません苦笑
書き終わったのであとでお邪魔します。
また次回更新した際はよしなに。
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