ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑥
1940年代後半からざっくりとした日本ポピュラー音楽の流れを追ってきたが、いよいよ自分が物心ついてからの歴史に踏み込んでいく。今回は1990年代だ。
バブルの狂騒とそれから
バブル全盛期
バブル景気の終焉には様々な説があるだろうが、ここでは92年までを一括りにしてみる。
90年代初頭の雰囲気をもっとも音楽に反映させたのは作詞・さくらももこ、作曲・織田哲郎で90年1月に放送がスタートしたテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のオープニングテーマ曲、B.B.クィーンズが歌う「おどるポンポコリン」ではないだろうか。
織田哲郎がさくっと作った曲にサブカルに精通し、独自のまる子以外にもエッセイや『神のちから』、『コジコジ』など独自の世界観を持つ原作者のさくらももこが書いた歌詞が乗るこの曲は社会現象といってもいいほどのヒットを記録し、各賞を総なめ。まさに時代を代表する曲となった。
編曲のギミックは面白いが歌詞を読んでも特に何も語っていない。これこそが時代の空気感であっただろうし、「お腹がへったよ」という一節に当時の貪欲な世情を感じてしまう。
他にも同じ90年には彼らにとって初のチャート1位獲得となったB'zの「太陽のKomachi Angel」やTUBEの「あー夏休み」などのビーイング系アーティストによる楽曲や米米CLUBの「浪漫飛行」など浮かれた曲がチャートを賑わせていた。そんな中でもサザンオールスターズは「真夏の果実」、イカ天出身のBIGINは「恋しくて」などの名曲をリリース。現在に至るまで絶大な影響力を誇るザ・ブルーハーツは「情熱の薔薇」でカウンターパンチを放っていた。
翌91年もバブルガム・ブラザーズ「WON'T BE LONG」など時代の空気と並走するような曲がありながら、井上陽水「少年時代」、CHAGE&ASKAのASKAによるソロ「はじまりはいつも雨」、尾崎豊「I LOVE YOU」など今も歌い継がれる曲が発表されている。
当時のヒット曲を眺めてみるとビーイング系アーティスト、バンドブームで浮上したバンド群、80年代以前から第一線で活躍するアーティストに大きく分類される。その中に80年代後半から力をつけてきたDREAMS COME TRUEや槇原敬之などが登場、世間的に一発屋と呼ばれるような息の短いアーティストたちも生まれた。こうした90年代初頭の音楽は後に再評価されていく。
バブル崩壊以降
実質的にバブル景気が終わっても世間にはまだ浮かれた空気が残っていた。ディスコでナンパという文化もまだ盛んだったとものの本には載っている。
僕は当時小学校に上がるかどうかという年で、バルセロナ五輪、Jリーグ開幕などスポーツに浮かれていた。結局この空気は95年の阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件発生まで止まらなかったように思う。
そんな最中の94年、90年代を代表する二組のアーティストがヒット曲を発表する。Mr.Children「innocent world」とSMAP「がんばりましょう」だ。
一組はバンドブーム以降に現れJ-POPを代表する国民的バンドとなり、もう一組は晩節に深い影を落としたものの90年代から現在までで最も成功した国民的男性アイドルである。
僕には六つ年上のイトコがいて家庭の事情によりよくイトコの家に行っていた。毎日のようにミスチルの音楽を聴いていたし、96年に放送が始まった『SMAP×SMAP』はイトコの家でしか見られなかった。
小室哲哉とavexの時代
TRFや安室奈美恵、華原朋美、globeなどを手掛け大きなブームを巻き起こした小室哲哉がプロデュース業を本格化させたのも94年だった。TM NETWORKとして成功し、渡辺美里らへの楽曲提供でも名をあげた彼はavexと組み、主に女性ボーカルでダンスミュージックを強調した音楽で一世を風靡した。
特に安室奈美恵の影響力は絶大で、彼女の服装や髪型・メイクを真似たアムラーが流行(今思えばギャルのはしりだ)。僕は当時小学生だったのでそれほど影響を受けていないが、クラスメイトの女の子の中には安室奈美恵のような恰好の子もいた。九州の片田舎でそれなのだから都市部では大変なものだったであろう。
97年あたりを境にブームが去るまで彼の音楽は日本中を席巻した。
バンドの時代
ミスチルとほぼ同時期に人気を得るようになったバンドは多く、スピッツやザ・イエロー・モンキー、ウルフルズ、JUDY AND MARYなどが音楽番組にも出演しながら独自の色をもって活動した。彼らの姿を見てバンドに憧れた。楽器も弾けないのにドキドキしながら『BANDやろうぜ』を買ったことを覚えている。
ヴィジュアル系の流行も同時代に始まった。なかでもGLAY、L'Arc〜en〜Ciel、LUNA SEAなどはセールス的にも大きな成功を収め高い人気を誇った。20万人を動員した『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』の開催などは現在では不可能な数字だと思う。
ヴィジュアル系については奥が深く、本人たちの認識も違ったりするので一括りにはできないというのが正直なところだ。
テレビとアーティスト
タイアップの時代
90年代はそれまでより一層テレビドラマやCMと音楽が密接に結びついた時代でもあった。順番は適当だが今思い出せるドラマタイアップだけ挙げても、
「SAY YES」CHAGE&ASKA(『101回目のプロポーズ』)
「君がいるだけで」米米CLUB(『素顔のままで』)
「真夏の夜の夢」松任谷由実(『誰にも言えない』)
「ラブ・ストーリーは突然に」小田和正(『東京ラブストーリー』)
「LOVE LOVE LOVE」DREAMS COME TRUE(『愛していると言ってくれ』)
「サボテンの花」財津和夫(『ひとつ屋根の下2』)
などがある。実際にこの当時売れている音楽のほとんどがテレビドラマまたはCMのタイアップ付きだったのではないかと思う。いわゆるトレンディードラマというやつと加速する資本主義のなかで音楽も同時に熱を高めていったのだ。
音楽トークバラエティ
94年放送開始でダウンタウンが司会を務めた『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』、96年スタートでとんねるずの石橋貴明とSMAPの中居正広が司会を務めた『うたばん』など、アーティストやミュージシャンに音楽以上にトーク力や「面白さ」が求められるようになったのも90年代の特徴だ。これ以前も『夜のヒットスタジオ』などで少し面白おかしいキャラクターを発揮するアーティストはいたが、この頃ほどキャラを求められることはなかっただろう。
MCを務める芸人がアーティストをいじることで笑いを作り出すのが基本的なスタイルではあったが、アーティスト側でもシャ乱QやT.M.Revolutionの西川貴教など自らキャラ化して道化を演じるものもいた。高視聴率を記録する番組で跳ねれば一躍売れっ子への道が開かれた時代だった。
もう一つこうした音楽トークバラエティの特徴としてあげたいのはテロップの存在だ。『マジカル頭脳パワー!!』や『進め!電波少年』などで定番化してきていたテロップの使い方が面白く、演者のワードを際立たせどこが面白いのか分かり易くすることで見やすかった。
86年スタートで現在も放送されている『ミュージックステーション』、93年スタートで現在放送中の『Venue101』まで連綿と続くNHKの音楽番組の始まりである『ポップジャム』など、上記ふたつの番組よりはもう少し硬派で音楽に焦点を当てた番組もあったし、96年には現在のチャートと過去のチャートを両方流す『速報!歌の大辞テン!!』のような番組もあって、僕らの世代は昭和歌謡にちょっと詳しい人間も多い。
歌姫の時代
宇多田ヒカル登場
小室ブームも完全に下火になり、ミスチルが活動休止から復活、SMAPが「夜空ノムコウ」をリリースした1998年末、やたらと低いカメラの画角の中で中腰になったり一人掛けのソファに座ったりして歌う少女(少女だよな?)が登場する。「Automatic/time will tell」で鮮烈にデビューする宇多田ヒカルである。洋楽信仰がまだ根強かった当時、圧倒的な黒っぽさを持った彼女の登場はファンを含む日本のポピュラー音楽関係者に強烈な印象を残す。それは彼女のファーストアルバム『First Love』が500万枚以上を売り上げたことからもわかるだろう。しかも空虚な数字の話ではなく内実が伴った素晴らしいアルバムによって打ち立てられたひとつの金字塔であった。
そして登場から26年経った現在においても彼女の作り出す音楽、そして彼女自身が紡ぎだす言葉によって僕たちはいくつもの示唆を与えられている。
同時代に活動をスタートした女性アーティスト
宇多田が登場した98年は椎名林檎やaikoなど現在も第一線で活躍する女性アーティストのデビューが重なった。
それぞれに個性豊かで音楽性の面でもプロデュースにおいても有象無象の歌手とは一線を画すスタイルをとった彼女たちは次々にヒット曲を世に放ち、同世代や僕らのような下の世代に影響を与えまくった。椎名林檎のような言葉遣いをする女の子がいた。aikoのようなファッションの女の子がいた。まさに時代を作ってきたアーティストといえるだろう。
彼女たちのような真正のアーティスト寄りの人物と同時期に音楽活動をはじめた浜崎あゆみはその後10代から20代前半の女性の間で爆発的な人気を誇るようになる。「あゆ」と同じような格好をしてカラオケで「あゆ」の歌を歌い涙を流す。そんな女の子がゴマンといた時代があった。僕の友達にもいた。
最後に
バブル景気の後半からはじまり、自然災害、テロリズム、オカルトなどを経てきた90年代はその後何十年も続く不景気のはじまりでもあった。ただ当時はカラオケブームもありネットが未発達でもあったのでCD売り上げは爆発的に増えていた。
ビーイング、avexなどのレーベルごとに色があり、聴いている人の属性も少しずつ違っていたように思う。アムラーになる女の子は時代が下ればあゆのスタイルを真似ただろう。
ミスチル、宇多田をはじめ現役で活躍するアーティストが多い時代だが、実は他のジャンルでもこの時期に生まれたコンテンツは現役だ。
世界中にファンを持つゲーム・アニメの『ポケットモンスター』の初代「赤・緑」が発売されたのが96年。そして最早ひとつの神話になりつつある漫画『ONE PIECE』の連載がはじまったのが97年だ。95年には「Windows95」の登場によってインターネットが本格的に大衆の元にやってこようとしていた。
僕のようにこの時代を小学生・中学生として生きた世代以外にも大きな影響を与え続けるコンテンツがこの暗い時代のはじまりに生まれていることには何らかの意味を求めずにいられない。よるべない時代のよすがのような存在だ。