ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑧
悪天候による低気圧等で体調がすぐれず読書もできないしパソコンに向かうこともできずにいた。やりたいことができないストレスというのは辛いものだ。
前回の記事で2000年代のポピュラー音楽について書いたが、重要なものをひとつ忘れていた。それは2003年に発表されたボーカロイドの存在だ。現在のメジャーシーンに欠かすことのできない文化であり、2007年の初音ミク登場を絡めて書くべきだった。反省している。
全体の流れ
10年代初頭
2010年のヒット曲にはNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌だったいきものがかり「ありがとう」、ファンキーモンキーベイビーズや西野カナの一連の曲、植村花奈「トイレの神様」など、どこか2000年代を引きずったような曲が多く見られる。AKB48、嵐などのアイドルによる楽曲、そして少女時代やKARAといったK-POPの流行などもあり、その中に斉藤和義のような実力・人気はあったもののずっと浮上してこなかったミュージシャンもいるのが面白い。
女性アイドルグループの隆盛期でもあり、前述のAKB48グループ(2011年に乃木坂46がスタートしている)、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incなど東京を中心に全国的に流行している。2013年のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』においても当時の雰囲気を感じることができる。
原宿カルチャーからは中田ヤスタカと組んだきゃりーぱみゅぱみゅが登場して「PONPONPON」「つけまつける」など次々にヒットを生み出すと「原宿Kawaii文化」のアイコンとして君臨した。
2011年の東日本大震災によって社会がなにか変容していくのではないかという思いを抱えながらテレビを見ていた僕は、時間が過ぎてゆくにつれて、どちらかといえば絶望といっていいような気持ちを抱えることになった。
それ以前からずっと緩い絶望に浸って生きていた自覚はあるが、これほどの災害が起こったのにも関わらず世の中は何も変わらないのだという絶望感は大きな塊として目の前にあり、呑み込むことが困難であった。
宮崎駿監督作品『風立ちぬ』によって荒井由実時代の楽曲「ひこうき雲」がリバイバルを果たしたり、映画『クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!!』の主題歌だったSEKAI NO OWARIによる「RPG」やLinked Horizonによるテレビアニメ『進撃の巨人』の主題歌「紅蓮の弓矢」のヒットなど、現在に繋がるアニメタイアップの強さが目立つようになったのもこの頃だろう。
中頃
平和で弛緩した日本の昼を代表するような番組だった『笑っていいとも!』が終わった2014年に「Dragon Night」や「Let It Go」が流行したのはある意味で象徴的だったのかもしれない。
個人的には2015年あたりからようやく日本国内においても音楽のサブスクリプションサービスが充実してきた印象がある。ダウウンロードは普及していたもののCDによるフィジカルな指標が役に立たないことは既に多くの人が理解していたことだろう。
現在、日本のポピュラー音楽シーンにおけるスターである星野源が本格的にハネるのもこの時期に発表した「SUN」、そして「恋」のヒットによるところが大きい。俳優・ミュージシャンとして活躍するアーティストはいるが面白い文章を書けるというのは彼を特別にしている。
2014~15年には米津玄師が素晴らしいアルバムとそこに収められた楽曲によってメジャーシーンで成功を収める。ニコニコ動画などのネット文化の中から生まれたスターであり、彼の登場によって本格的にメジャーにおけるDTMミュージシャンの時代がはじまり、新しいJ-POPが次々に生み出されることになる。
後期
フィジカルセールスをある程度無視してYouTubeにアップされたMVの再生回数やダウンロード数、ストリーミング再生数が重視される時代に入っていくなかでポピュラー音楽は多様性を増していく。
YUIや阿部真央の跡を継ぐようにアコースティックギターを強調したあいみょんや、back numberやofficial髭男dism、Mrs. GREEN APPLEのようなポップバンドたち、声優アーティストにアニソン歌手、ヒップホップをメジャーシーンに返り咲かせたCreepy Nuts、King Gnuのように理論がしっかりしたバンドなど、それぞれのアーティストがそれぞれの世界をときに交差させながら発展させてきた。
コラム(のようなもの)
こうして10年代の流れをざっくり振り返るとDTMによる作曲によってなのか、デジタルが当たり前に身の回りにある時代になったからなのか、音楽にストリートっぽさがなくなったように感じる。メジャーで成功したなかで唯一それっぽさを感じたのはSuchmosぐらいかもしれない。邦ロック的なバンド群には高円寺や下北沢の雰囲気は感じるが僕の思うストリート感とは少し違っている。
10年代に入って特に、音楽を生業とする人々にも社会的な責任や常識が求められるようになった。実際の現場で生きる人だけでなく僕たちのようないちリスナー側からもSNSによって批判をする権利があるかのような錯覚が世の中に蔓延している。いや、批判をすることは必ずしも悪くはない。誰が書いたのかもわからないようなネットの情報を鵜吞みにして一面だけを見て批判する人が増えたことがよくない。まあ、これは音楽だけに限った話ではないのでまたいずれ別に書こう。
最後に
平成という時代が終わり、新しい元号・令和になるまでの2010年代という時代は、音楽においても変化が激しかった時期といえるかもしれない。よりサウンドを重視するようになった気がするし、逆に言葉は置き去りにされたように思う。僕は別にそれがいいこととも悪いこととも思わない。
いや、ひょっとしたらラップをはじめとして言葉の数は増えたかもしれない。ボカロ曲も以上に言葉を重ねる曲が多かったりもする。なかには日常では使わないような語彙も多く使われているし一見感情的にすら見えるが、どこかアニメーション的ですべてをフィクションとして捉えているように見える。この感覚は現在まで続いている。