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オタク生活55年が語る若きクリエイターを”AWAKING"=覚醒させるヒント⑮
ゲーム分析の方法 出来るだけ細かく考えるために
前職までの経験で思い至ったのは”コンピュータゲームの分析を行う場合、一人で行うより複数で意見を出し合った方が、最適解に近くなる”と、言うことです。またまた、当たり前の事を言っています(笑)
しかしながら、この書き出しでスタートしたのは、ゲームクリエイター志望者(あるいは新人クリエイターにおいても)の50%は、コミュニケーションが苦手と自分では思っているからです。この傾向は(今までの経験から考えると)対CPU戦のストーリー重視ゲームなどの深い没入感を与えるゲームに夢中な層だと、さらに割合が増えると思います。
これはまあ、僕自身も現実世界に対する不満から”小説””マンガ””アニメ””映画”の世界に現実逃避した人間なので解る。(ちなみに、僕はゲームの原体験=スペースインベーダーの人間。15歳の僕は、下手くそ過ぎて小遣いがドンドンなくなるのに耐えられず、インタラクティブコンテンツ=コンピューターゲームに夢中にならずに成長した人間。友人の家で行ったマリオも下手だったために、ファミコンも所有せずに社会に出た人間だ。もし、当時の僕が現代の少年だとしたら、自分が保持するスマホの中で様々な楽しみを与えるゲームに夢中になって、他の事をおろそかにしたと思います。
そうやって、一人でゲームを楽しんでしまう事は、ゲームデザイナー達が仕掛けた”没入感あふれる世界の中での人生を楽しむ”ことに繋がります。
その状況下での、ゲームの分析は”与えられた世界の分析を行うことになり、自分が妄信して受け止めていた世界に疑問を持つ行為になる”わけです。これは、なかなかに受け手であった人間にとっては厳しい試練とも言えます。昨日の記事に付随して書くとすれば『ポケットモンスター』のプレイ中に、サトシになり切って冒険していた自分の行動や思考を再認識しないといけない。『ポケットモンスター』の場合は、まだ「うん、俺、小学生じゃないし…」と世界観から抜け出しやすいが、18禁の美少女ゲームのシナリオや展開が好きだという場合、その分析は自身の嗜好の暴露にも繋がるので、なかなかに恥ずかしい行為だと思います。
では、その状況にも関わらずに分析を進めるには、どうするのか?
僕の場合は、自主映画のシナリオを書き出してから以下の意識です。
”自分の趣味・嗜好はバレるが、それを示していかないと、自分の意見や考え方は伝わらない” この意識は、現時点での記事作成でも一緒。だから週末版は”好きな物”の披露をしています。ちなみに”好きな事を伝えるべき”と割り切ったのは、他のクリエイターやクリエイター志望者も”好きな事を伝える”行為をしている事に、とオタクの友人と出会って語りあうようになったからである。
冒頭で、作品分析を多人数で行うべきと発言した真意は
①まず、自分のコンテンツに関する意見を言う事に慣れる。
(意見を否定される事ばかりではないと、まずは意識変革を行う)
②様々な意見を受け入れる土壌、冷静な視点を持ち合わせる。
(自分の主観に意固地にならないようにして、全面否定を回避する)
③自分の視点とは違う視点からの意見を聞く
(相手の意見も否定前提ではなく聞く事)
④他社の意見から、自分の意見を再構築する。
⑤繰り返し議論を行うことで、自覚していなかった要素をピックアップする
⑥的確な結論に、みんなで向かう
⑦みなで出した結論は”共通認識””共通見解”となる で、ある。
凄く、当たり前の事を書きました。
別に、作品分析でなく、他の議論、討議にも使える考え方でもあります。
それでも、今回の話題に取り上げたのは、ものすごく練り込まれたコンピューターゲームの世界観やゲームデザイン、その指針に基づく各種データ制作、プログラミング、データ実装…を行う上で、”共通認識”に関する意識不足は致命的な問題になるからです。
受け手から送り手へのシフト。手法の前に意識改革と語った今回。皆様の評価も知りたいところです。ご意見、シェアのほど、よろしくお願いします。