34:銀幕へのいざない
5歳。
以前の記事で、映画『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』のテレビ放送を録画したVHSを繰り返し観ていたことについて書いた。
劇中のセリフも覚えているくらい、とても思い出深い作品なのだが、私が映画館で観たのは、その次の映画作品『ドラえもん のび太の日本誕生』が最初だった。
母に連れられ、姉と、このときは確か姉の友人もいたと思う。
***
ドラえもんの映画は、意外とシリアスな場面が多くあったりする。
ときには怖ろしい描写などもあって、作品によってはトラウマになっているという人もいるようだ。
大半は子供向けに描かれてはいるが、不意に仄暗さが滲み出してくることがあるのが油断ならない。そこが、藤子作品の魅力なのかもしれない。
『日本誕生』も、少し雰囲気が暗めな作品のように思う。
主要メンバーの子供たちが、親からの期待や押しつけに耐えきれなくなり、結託して家出するのだが、現代ではどこに行っても場所がなく、タイムマシンを使って7万年前に行くことになる。
紆余曲折あり、敵の「ギガゾンビ」や「ツチダマ」、のび太が一人はぐれて吹雪のなかで遭難する場面など、記憶に刻まれる場面だろう。
問題解決後は、育てた動物たちとの別れを描いたシーンからエンディングへ向かい、子供たちは家へ帰る。
ひと言では表しにくいのだが、どこか哀しいのだ。
一方で、晴れて自由を得たのび太たちによる、楽しい場面として挙げられるのは、やはり食事シーンだろう。
「畑のレストラン」というドラえもんの道具で、一見すると丸い大根やカブのような野菜に見えるが、容器の蓋を開けるようにふたつになって、なかにはカツ丼など、それぞれの好物の料理が入っている。
自由を求めながらも、ずっと孤独には生きられない。
哀しさや淋しさのなかに、少しの楽しみがある。
まるで、それこそが「幸せ」の正体なのだと言っているかのようだ。
もちろん、映画を観た当初は
・なんとなく雰囲気が暗い
・料理は美味しそう
・観終わるとどこか淋しい
くらいにしか思っていなかったのだが。
***
映画の鑑賞特典で貰った、映画のイメージビジュアルが印刷されている厚紙製の冠のようなものがあった。
劇中では、敵の親玉である「ギガゾンビ」に対抗してドラえもんも原始時代の術師らしく変装していたが、その際の「冠」というか、被りものを模したグッズだったのではないかと思う。
厚紙を湾曲させて端を繋ぐことで「冠」になる。
子供達は映画の開始を待つ間、それを組み立て、頭に被って鑑賞する、というわけだ。
それを与えておけば、開始まで大人しく待ってもらえるのではないか、という主催者側の期待と工夫を感じるところだ。
私はその手の「みんな一緒にどうぞ」がとても苦手なので、組み立ててはみたものの、頭には被らないままだった。
映画のあとは、近くの商業施設に立ち寄り、やけにオレンジ色でねっとり食感のフライドポテトを食べたことを覚えている。
前後は不明瞭だが、おそらくデパートの上層階にある食堂的な場所だったのだろう。
この食堂で、例の映画の特典である「冠」の置き場に私は困った。
席はそれほど広くない。
テーブルに置けば、運ばれてくる料理の場所がない。
膝に置くにしても困る形状で「冠」の状態ではどうしようもないし、繋いでいる部分を取って平らな厚紙に戻したところで、長いので持ちづらい。
かといって、映画に行って浮かれている子供のように、頭に被るわけにもいかない。映画鑑賞中でさえ、被らなかった私だ。
姉と、姉の友人はどうしていたのか、まったく覚えていないことから察するに、それを気にする余裕もなかったのだろうか。
***
「冠」には苦戦したものの「入場者プレゼント」として、別に景品があった。
小型のドラえもんである「ミニドラ」の底面に、パチンコ玉のような球が入っていて、斜面に置くと滑って移動する、シンプルなおもちゃである。
ドラえもんの映画では毎回、こういったプレゼントが用意してあって、家に帰っても少しだけ映画の世界と繋がっているような感じがしたものだ。
そして時が流れ、大人になってからも「映画館に連れて行ってもらった思い出」を思い起こさせる。
特別に凝ったおもちゃではなくても、大切な思い出の品だ。
企画をされた方に、いま改めて感謝を伝えたい。
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