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1:私が生まれた日

12月12日、私は生まれた。

最初にまず、はっきりさせておくべきことがある。
自分が生まれた日のことは、なにも覚えていない。

でしょうね。と、わざわざそんな言葉を頂戴するのも申し訳ない。とはいえ、平凡さを際立たせる導入では面白みに欠けること山の如しなので、あえておかしな書き方をしてみた。私は往生際が悪いらしい。

「自分が生まれた日のことを覚えている人なんていない」

それが人間社会の常識。疑いようもなく、自分が覚えていないのだから、誰しもがそれを当然だと思っている。

しかし、果たして本当にそう言い切れるのだろうか。
世のなかには、実にさまざまな人がいる。国連の推計によれば、2022年11月15日に、地球上に生きる人類は80億人に達したのだとか。それだけいるのだから、覚えている人もいるかもしれない。

「教室のような場所で、順番に炉に焚べられるように、自分が生まれる時を待っていた記憶がある」と語る人がいる。
「前世はこうだった。私はあそこの家の子供で、何歳のときにこういう理由で死んだ」と話す人がいる。その家を訪ねてみると、確かにその歳で亡くなった子供がいて、その親子しか知らないはずの記憶を共有している。

そういった類の話を、頭から否定する気が私にはない。だってそのほうが面白いもの。鼻息を荒くして断固否定する人は、きっと人には言えない、やむにやまれぬ事情があって、なにかを守るために闘っているのだろうと思っている。

とまあ、余談はさておき、日頃いろいろと変わったことをやっている私でも、そのあたりは平凡である。素直に認めよう。覚えていないものは覚えていないのだ。

***

覚えていません、以上。で終わっては一体なんの話だかわからない。
そんなわけで、生まれた日のことを母親に訊いてみた。
数日後、整った手書きの文字で綴られたレポート用紙を受け取った。大学の課題の提出のようだ。気軽に訊いたのに、思った以上の返しをしてくる。母の得意技のひとつである。

母からの返答

昨年末あたりに写真を整理していたときに、思い浮かんだ過去の出来事の時期について質問をしていたので、その返答と合わせてA4用紙に9枚。私が生まれた日のことは、1枚目の用紙に書かれていた。

以下、母の文章より一部を調整して抜粋。

予定日は11月25日だったけど、11月5日まで仕事に出ていた。
予定日がきても産まれず、職場から1日おきくらいに電話がある。
「まだ産まれないのか、運動しろ、早く産め」と言われていた。
年明けに確定申告があるから早く復職してほしかったらしい。

予定から日数が経ったので入院。
朝から陣痛促進剤を飲み、点滴。変化なし。
昼休みにお父さんが病院に来た。夜になるかも、と話した。

夜。
廊下で一人で待っていたお父さんが、助産婦さんに「親御さんを連れて来なさい」と言われ(父方の祖母は姉を見ているので)母方の祖母を迎えに行く。

陣痛がきているのに、なかなか産まれない。
足もとで先生が「帝王切開にしたほうがいいかも」と話している。
ここまできて、いまさら帝王切開になってたまるかと思い、やっと産んだ。
助産婦さんが「大きな男の子ですよ。お父さんになる人は大きな人なんだろうね」と言った。何度も会ってるくせに。

お父さんが婆ちゃんを連れて病院に着いたときには、すでに産まれていた。
廊下で待っているお父さんや婆ちゃんに、先生が「元気な女の子ですよ」と言い、そのあと出てきた助産婦さんが「元気な男の子ですよ」と言い、分娩室から出てきた私に寄ってきて「男?女?」と訊いてきた。

2022年12月27日 記述:母の手記より抜粋

いまとは異なる、会社の対応などの時代背景なども感じつつ。関係ないが、時代背景なんて言葉を使うと一気に歳を食った気になるのでおすすめしない。

「感想だけでその映画を観た気にさせる話術」も母の得意技なので、文章ではなく話のほうが情感たっぷりに聞くことができるとは思うけれど、最後にオチがあるのはさすが。ちなみに、父も私もべつに"大きな人"ではない。

そんなこんなで、私は魑魅魍魎のウロつくこの世に生まれたらしい。

▼誕生
12月12日(月) 19:38
3600g / 身長51cm 胸囲34.5cm 頭部34.5cm

生まれたてなので、いつものアイコンも小さめのサイズをわざわざ用意した。けれどもこうして置いてみると、比較対象がないので小さいことがまったく伝わらない。大誤算である。

サイズ比較画像

伝わらないのは悔しいので、いつものサイズと並べてみる。
この画像を用意するためだけに改めてPhotoshopを起動する。その気持ちを考えてみたことがあるだろうか。

***

本来の私の性格からすると、この記事は12月12日に投稿したい内容である。
けれど、次の12月12日まで待つのはさすがにちょっとどうかと思い、なんでもない日に投稿することにした。こんなことでさえ、いくらかの思い切りが必要なところが、いかにも私らしいとも思う。

それからよくよく考えてみれば、産まれるところから盛大に出不精を発揮していることがわかる。これはもう変わりようもない、基本の性質なんだろうと妙に納得してしまう。

予定日が過ぎてもなかなか産まれないところから、人生がスタート。
やはり私は常々、往生際が悪いらしい。諦めが悪いともいう。言い換えてもなんだかイメージがよくない。だけどそれは裏を返せば、継続力や根気強さがあるということではなかろうか。どうにかしてイメージアップをもくろむも、そうすること自体が往生際が悪いことの上塗りになっている。

生まれた日のことを書いているのに、ことさら往生際の悪さを露呈してしまうのはいかがなものだろうか。

>往生際(おうじょうぎわ)
[名]:死に際。死ぬ間際。

出典:Wiktionary




▼準備のために写真整理をしていたときの記事はこちら。

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