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輸入と融合の音楽K-POPの歩みと日本(初期K-POP史)

BTSと演歌!?意外な関係って
韓国ではテレビで日本音楽流すのNG!?

日本でK-POPが人気を博すようになってから何年が経っただろう。BoAがデビューした2001年から20年、少女時代やKARAが日本デビューした2011年から10年。さらに、BTSをきっかけとするブームが起こってからは、単なる「ブーム」の域にとどまらず、K-POPは今や日本のカルチャーに根を貼った音楽の一つのジャンルにまで成長したと言える。2020年起こったK-POPの変化については下の記事に簡単にまとめたので、参考にしていただきたい。

そんなK-POPとは一体どんな音楽なのか、この記事では韓国の歴史と紐付けながら(SM Entertainmentを中心とする)初期のK-POP史を概説的に考えてみたい。

抑圧の歴史、遅れをとった音楽

韓国では1961年に朴正煕(パク・チョンヒ)が軍事クーデターにより政権を掌握。私を含む大学生以下の世代にとっては、朴槿恵(パク・クネ)元大統領の父親と言ったほうがピンと来るかもしれない。朴正煕政権によって、韓国はいわゆる「開発独裁」のもとに置かれた。結果として70~80年代韓国経済は急成長を見せ、現在の国富の土台を築いた。これは後に「漢江の奇跡」と形容される。しかし、79年に朴正煕が暗殺されると、民主化への機運が高まり、軍を掌握した全斗煥は民主派を弾圧。近年話題になったソン・ガンホ主演映画「タクシー運転手」(上写真)の題材にもなった光州事件が起こっている。80年全斗煥(チョン・ドファン)による軍事政権が始まると韓国はさらに厳しい民主化取り締まりに晒される。現代のK-POPと韓国現代史に何の関係があるのか、と思われるかも知れないが、音楽の文脈でもこの国民抑圧の歴史は非常に大きな意味を持つ。すなわち、61〜88年の実に27年間、韓国では自由な音楽活動が許されていなかったのだ。実際に「禁止歌政策」も打たれ、75年には1年で222曲もの歌唱が禁止されている。したがって、韓国の歌謡シーンは長い間停滞を強いられた。70〜80年代、日本ではすでにシティポップの流行も過ぎ、アイドル音楽シーンではシブがき隊などジャニーズが台頭。3年後にはSMAPが誕生するのが88年である。韓国歌謡は、大変な遅れをとった状態から、民主化・第6共和制の開始とともに第一歩を踏み出すことになった。

ジャニーズをロールモデルとしたアイドルの出現

K-POPの起源を考えるにあたって欠かせないのが、韓国芸能事務所最大手SM Entertainment(以下、SME)。その創設者イ・スマン氏が韓国において「新しい音楽」を作った中心人物である。彼がロールモデルに選んだのが、当時日本で人気を集めていたジャニーズだ。結果として、この試みは成功しSMEからは、H.O.T.というアイドルがデビューし、人気を集めた。その後もS.E.S.、神話なども次々と成功を果たし、2000年代にはBoA、東方神起が日本で活躍するまでに成長した。SMEは2000年代日本活動で多大な功績を残した。この成功体験は、後に2010年代少女時代の活躍にも役立つこととなった。K-POPは、既存音楽の輸入からスタートを切ったと考えるのが妥当だろう。また、その後の展開も既存音楽の輸入と融合(イノベーション)によって展開してきたと言っても過言ではない。結果的には、次第にオリジナリティ、アイデンティティを確立。現代のようなK-POPへと歩みを進めている。

S.E.S.「Dreams Come True」
S.E.S.は韓国内で絶大な人気を博し、1998年には日本デビューしているが、時期尚早。しかし、SMEがその後日本進出するにあたっての布石となったことは確かで、ミッツ・マングローブもファンであったことを公言している。20周年を迎えた2016年には再結成して話題となった。

H.O.T.「Warrior's Descendant」
H.O.T.の代表曲。最近のオーディション番組でも高頻度で登場するので、知っておいて損はない。

H.O.T.「光(Hope)」
SMEにとって欠かせないレジェンド曲。SMTOWN LIVE(SME所属アーティスによるコンサート)の最後に歌われる。作詞・作曲は現在ソロで活動する、メンバーのカンタ。

日本の音楽禁止!?
日韓のアンビバレンス

K-POPは、日本の音楽の影響を少なからず受けながら発達した。一方で、韓国には韓国併合時の日本を想起するといったことを理由に日本の大衆文化の流入制限政策があり、日本の音楽は基本的にテレビ放送できない(このアンビバレンスはしばしば日本において批判されている)。
例えば、70年代日本で演歌歌手として活躍し、代表曲に「釜山港へ帰れ」のあるチョー・ヨンピルは本国で同曲の歌唱ができない状況が近年まで続いていた。ちなみにヨンピルは本国ではロック、ポップの歌手として人気で、2013年に発表したアルバム『Hello』からは「Hello」「Bounce」がヒットチャート入り。この年を代表する楽曲となった。また、同じく日本で演歌歌手として活躍したキム・ヨンジャも、本国では日本的な演歌を歌うことが許されず、演歌と現代的なリズムの融合した「トロット」と呼ばれるジャンルで活躍している。近年のヒット曲「Amor Fati(アモール・ファティ)」は非常に大きな反響を呼び、防弾少年団(BTS)の楽曲「IDOL」の着想元になったともされている。

チョー・ヨンピル「釜山港へ帰れ」
日本でチョー・ヨンピルというとまず浮かぶ代表曲。カバー多数。

チョー・ヨンピル「Hello」
自身10年ぶりのアルバムからの楽曲。これまでにない軽快なロック。年齢を感じさせない新鮮さで、若者からも熱い支持を集めた。

キム・ヨンジャ「Amor Fati(アモール・ファティ)」
クセになるEDM要素を韓国版演歌であるトロットにのせたコミカルな楽曲。動画は2018年KBS歌謡大祝祭のエンディング。後ろにBTSやTWICE(トゥワイス)の姿も目に入る。

BTS「IDOL」
現代音楽と韓国伝統音楽の融合というK-POPではそう目にしない稀有な楽曲。MVには獅子舞(サジャノリ)や朝鮮建築が登場し、「伝統」が意識されると同時にサブカル的なグラフィックが重なり、まさに伝統と現代の融合を感じられる楽曲。トロット的な要素もあり、上のキム・ヨンジャの楽曲に着想を得ていることも十分ありうると考えられる。

また、日本文化の抑制政策は、最近のK-POPアイドルにも大きな問題を引き起こしている。日韓合同オーディション「Produce48」によって誕生したHKT48 宮脇咲良、矢吹奈子、AKB48 本田仁美を含むIZ*ONE(アイズワン)の秋元康作詞曲「好きになっちゃうだろう」は、韓国公営放送KBSをはじめSBSなど地上波でも放送不適格の判定を受けている。そのほかにも、日本語的な響きの語彙が含まれた歌詞を歌う場合、放送不適格が下されたケースがある。

IZ*ONE「好きになっちゃうだろう」
「Produce48」時から人気の日本語曲。韓国ケーブルテレビ最大手Mnetは、地上波でないために放送を免れていると考えられる。

音楽の日韓

昨年、嵐の松本潤の「K-POPの起源は日本の音楽」との主旨の発言に韓国内から反発の声があるなど、初期のK-POPと日本音楽を同一文脈で語ることにタブー的な側面があることは否めない。しかし、日本の音楽がK-POPに大きな影響を及ぼしてきたことについては、韓国芸能事務所大手JYP Entertainmentとソニーミュージックの共同オーディション「Nizi Project」で、プロデューサー J.Y.Parkも言及している通り。K-POPは、海外の音楽の輸入とそれらの融合によってアイデンティティを築いた。2010年代のブームが、少女時代の美脚ダンスやKARAの腰振りダンスなど日本にはないある種の物珍しさに端を発しているのに対し、現在K-POPはその音楽的な良質さを最大の特徴とする。BTSは良質な音楽によって、世界的な評価を受け、アジア人への印象まで変えてしまった。
日本に目を映すと近年はK-POPは羨望の対象として見られることが多い。例えば、一昨年放送されたアイドルオーディション番組「Produce101 Japan」は、韓国Mnetの番組をもとに権利を得て制作され、大変な話題を生んだ。この通称「日プ」を通して生まれたJO1(ジェーオーワン)は昨年の日本のアイドルを代表するグループであった。JO1の楽曲制作にはK-POPの製作陣が関わるケースが多く、作風もK-POP的な部分が大きい。前述の「Nizi Project」からデビューしたNiziU(ニジュー)は、JYPに所属し、曲の多くはJYPによる制作。音楽的にはK-POPと言える。「JO1は、NiziUはJ-POPか、K-POPか」という論争は不毛だ。韓国においても不思議な現象が起きている。K-POPアイドルが、日本活動によって日本人制作の楽曲を歌うことは少なくなく、しばしば本国でJ-POPとして紹介されているのだ(もちろん私たちはK-POPだと思って聴く)。K-POPとJ-POPの境界は思いの外曖昧なものなのだ。

JO1「OH-EH-OH」
作詞作曲から編曲までK-POPアイドルグループPentagonのメンバーHUIが参加している。K-POP的な印象のパワフルな楽曲に、High&Lowやごくせんのような日本的なイメージも与えるMVには「K-POP × J-POP」と言われるJO1の良さが詰まっている。

日韓の音楽が古くから影響を与え合ってきたことは疑う余地もない。「輸入と融合」は、今や両国の音楽においてキーワードと言えるのではないだろうか。そして、その可能性は未知数だ。

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