その時、路肩に車を停めて
以前、音楽プロデューサーの蔦谷好位置さんが「関ジャム」という番組の中で、思わず路肩に車を停めずにはいられなかった曲=路肩ソングを紹介していた。
運転中に意図せず流れていた曲が、このまま平然と運転しながらなんて聴けないくらい素晴らしかった曲、ということらしい。「いい曲」を表す言葉はいくつもあるだろうけれど、その曲と出逢った瞬間の衝撃や感動の情景を免許を持っていない私ですらイメージできるほど、何というかとても「生っぽい」感じのするようなお洒落な表現だと思った。
それは、4月の昼下がり。
どんよりとした雲が広がる薄暗い部屋の中、件のコロナ騒動で毎日ネガティブな情報が入り込むニュース番組を観ることに嫌気が差していた私は、音楽チャートの有線チャンネルをごく小さな音量で流しながらぼうっと過ごしていた。
話題のヒットソング、90年代懐メロ特集、元気が出るパワー曲メドレー。次から次にいろんな曲が私の鼓膜を通り抜けていく。思わず口遊んだり、少し踊ってみたり。かと思えば作業に没頭していると知らない間に曲が終わってるなんてこともしばしばで。
その曲は、突然始まった。
ヴォリュームを絞っていたこともあるが、イントロがないまま息をするように歌い出したその曲との出逢いは、あれ?これってもう歌ってる?と思わず顔を上げたことがきっかけだった。
画面に映るミュージックビデオはまるで映画の告知のように、ひとりの若者が部屋を出るところから静かに物語が始まってゆく。
夜明け前、暗闇が薄く溶けて世界がちょうど青白く光り出す頃。部屋を出た彼はまだ人もまばらな街を歩き、都会の中心でひとり佇みながらあてどなく視線を彷徨わせている。
Loadingで進まない毎日
上品が似合わないmy lady
Morning ただただ浮ついて
日中も淡い夢を見る
ねえ今夜は急いで行く
愛情に満たされる日
二人静かに
ーーー最初はただただ彼女への愛を歌ったよくあるラブソングなのかと思っていたが、聴き進めるうちに私はすっかり分からなくなってしまった。
日差しがすっかり朝を告げている。先程までいた都会とは打って変わり彼の姿があるのは人気の無い長閑な駅のホーム。少ない車両編成の電車にやや不安そうに乗り込むと、田園風景の広がる車窓を眺めては何かに想いを馳せているようだった。
Good night sleepy おはようの言葉を
考えてはただ夢を見て
濃い濃度の想いに蓋をして
なんとなく好きな気持ち溢れた
君のこと好きだと知った日から
忘れたことないってか忘れられない
バカでもいいこの思いは伝えたいから
電車を降りた彼は、2、3度辺りを見渡すとスマートフォンを頼りに歩き出した。初めて訪れた町は都会のように目印になる大きな建物はなく、どこまでも薄曇りの空が続いている。畑を焼いたような匂いと枯れた廃材の香りが、寂れたこの町にやけに似合っている気がした。
ーーー彼はまだ彼女に想いを伝えてさえいなかった、と捉えることもできる。想いは既に通じ合っているふたりだが何かの事情で住む距離が離れてしまった、と捉えることもできる。
どちらにせよ、彼女とは今一緒にいることができない彼が、あの夜明け前の都会の中心で恐らく唐突に思い立って彼女が暮らす町へ初めてやってきたのだろうと思った。
Good night sleepy おやすみの言葉を
考えてはただ夢を見て
濃い濃度の想いが溢れてて
夕陽が反射する湖畔の銀世界。誰もいない道路のど真ん中を突き進みながら歌う彼の姿を映して、やはり静かに物語は終わってゆく。
最後まで彼女が登場することはない。彼が想いを伝えるシーンもない。もっと言えば、この日中ずっと彼は嬉しそうな顔もしなければ哀しそうな顔もしていない。至ってニュートラルに、日常のとある一日を過ごしただけのように見えた。
これが決して「初めて会いに行った」という特別な日ではなく日常のとある一日になったのは、彼が既にもう何十回・何百回と、この日のことを想像していたからだろうと思った。
この歌には「夢」という言葉が7回も登場する。
夜にはもちろんのこと日中でさえ淡い夢を見ながら、きっと彼は毎日のように彼女に会いに行っていたのだ。知らない路線を調べて、乗り換え検索をして、住所を頼りに空想の地図上をイメージしながら。だからこれが決して「初めて」のことなどではなかったのだ。
今日はうまくトーストも焼けたしさ
靴紐左から結んだしさ
家の鍵もきちんと閉めたんだ
こたつを消したかは不安だけど
それでも実際にその日を迎える勇気が出なかったのは、きっかけを探していたからではないだろうか。背中を押してくれる、些細なきっかけを。
けれど、この日は何かが違ったのだ。
トーストの焼け具合、スニーカーの紐。今だ、と言われた気がしたはずだ。
ずっと「蓋をして」いた濃い濃度の想いが、最後にはついに「溢れて」いる。コップに溜まった表面張力ぎりぎりの水が、ほんの一滴で一気に溢れ出すように。淡い夢を鮮やかな現実に変えるスイッチが、些細な幸運の積み重ねから生み出されたのだろう。
だから、登場人物は最初から最後まで彼ひとりで良いのだ。この物語は彼女への愛だけを歌った単純なラブソングではなく、彼自身の夢を現実に変えてゆく決意の始まりを描いた作品なのではないだろうか。
「snow jam」のjam、という言葉の動詞には押し込む、満たすという意味があるようだ。
雨はどれだけ降ってもたちどころに消えてゆくけれど、雪はしんしんとひたすらに降り積もってゆく。音もなく静かにただ降り頻るそれは、まさに日々募らせた彼の想いそのものだった。
雪の日はいつも、まるで世界から音が消えたように感じる。ずっと見ていられると思うのに、外に出て息を吸うと肺が痛くなって、声をひそめながら話してしまうような静謐さがある。
ーーーあぁ。だからこの曲は息をするようにそうっと静かに始まって、静かに終わったのか。
そう気がついたときには、曲が終わってから既に何十分も経っていた。作業の手は完全に止まり、すぐにYouTubeでもう一度曲を聴いた。2回目が終わってからダウンロードするまでに時間は要さなかった。そこでようやくふっと一息つくことができたとき、蔦谷さんが思わず路肩に停めてしまうことの真意が心の底から理解できた。
これはまともに運転なんて、絶対していられない。自分がいる現実から意識が遮断されてしまうほど、その圧倒的な世界観にのめり込まざるを得なくなる。すべてを凌駕する感情が無意識に押し寄せてくる。感動とは、時に畏怖だと思うことがある。薄暗い昼下がりに部屋でひとり、鳥肌はなかなか止まらなかった。
若干21歳、現役大学生。まだ世間に名の知られていない彼が産み出したこの曲は、一体どれだけの人の車を路肩に停めることになるのだろう。
次に走り出す頃にはきっと景色がほんの少し違って見えるのではないだろうかと、免許のない私は今日も想像だけを膨らませている。
・・・
このお話は、先日開催されたキナリ杯の受賞作品の中でも特別に私の心に残ったサトウカエデさんのこちらの作品と、
サトウさんをきっかけに出逢った磨け感情解像度というコンテストに投稿した作品にTwitter上でコメントをくださった遠山エイコさんのこちらの作品に、
強くつよくインスパイアされて書きました。
おふたりの作品は、まるで言葉から音楽が聴こえてくるようで。美しい文字の並びや、今すぐ音楽を聴きたくなるような高揚感、どれをとってもあまりに素晴らしくてふとした時にいつも読み返したくなります。ヨルシカもKing Gnuも間違いなく私の路肩ソングシリーズのひとつであり、初めて出逢ったときに感じた「おいおい、なんだこの人達は」という震えがそれぞれの作品を読みながら脳内で幾度も反芻されました。
一方で、私にとってこのsnow jamはまるで音楽から言葉から聴こえてくるような曲でした。ラッパーといえばKREVA?ORANGE RANGE?という程なんとも浅いレベル感の私に、ある日突然いきなりグサッと響いたこのCHILL OUT系メロウラップ(というらしいです、全ワードが覚えたてほやほや。笑)が、TikTokの影響で中高生に「エモい」とヒットしているようですが、同世代や歳上の方が聴くとどう受け取られるのだろうと思いながらMVをひたすら見て、止めて、戻って、見て、を繰り返して書いた作品になります。流れは完全に覚えました。
いつも感覚だけを書き散らかしているので初めての試みでうんうん唸りましたが、大変楽しかったです。御二方のおかげで書けた作品となりました。勝手ながらですが、ありがとうございます!
響くも響かないもあると思います。期せずして、読んでくださった方どなたかの路肩ソングとの出逢いになりましたら、幸いです。
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