引退後に「引く手あまたになる」アスリートが20代から持っている人間性とメンタリティとは?
【本稿に関して】
昨年の8月以来の投稿です。今回は本日ニュースリリースされたフジ物産株式会社(本社:静岡県 http://www.fuji-bussan.com/ )によるプロアスリートのセカンドキャリア支援事業(通称:Ath-up/アサップ)の中で受けたインタビューを掲載いたしました。プロサッカー業界に身を投じて20年が過ぎ、アスリートの引退後にどういうセカンドキャリアを歩むべきかという進路選択は、とても大事な問題だと認識しております。今回のインタビューは、当該事業へのエールを込めて、先方の了解をいただき掲載させていただきました。どうかご覧ください。
なお、インタビューは、以下Ath-upオフィシャルHPに掲載されております。
https://ath-up.jp/
また、これまでプロスポーツ経営に関する事柄について投稿して参りましたが、昨年4月に現役経営トップに戻ってからというもの、立場上種明かしのようなことを記すのはなかなか難しいなと感じておりました。ただし、今回のようにプロスポーツ界全体に関わる事象についてはどんどん発信して参りたいと思います。
■イントロダクション
日産自動車の生産部門から、45歳で横浜マリノス(当時)社長へ。以来、サッカーやバスケットなどプロスポーツ経営の世界で20年以上にわたりご活躍されている左伴繁雄社長。アスリートをはじめとする数多くの社会人の転機を見てきた左伴社長が語る、「セカンドキャリア」で成功する人材とは?
■日産でもサッカー業界でも、転機の日々
―キャリアや転機について、左伴さんのお考えをぜひお聞きしたいと楽しみにしておりました。日産から突然横浜マリノス株式会社の社長を命じられて、そこから今日までは怒涛の20年だったのでは?
左伴:転機というなら毎日が転機みたいな(笑)。 発見と軌道修正の連続で、日産の22年間もサッカー業界にきてからも、同じような転機の日々です。スカイラインGTRを作りたいと工場勤務希望で入社したのにイギリスに工場と会社を設立することになったり、30代後半の身で管理職の人事評価役になって周囲から距離を置かれたり、日産の経営が傾いてからは経営の改革をやったりと、日産時代の方が転機としてはむしろ刺激的だったかもしれませんね。
―で、45歳の時に当時のゴーン社長から横浜マリノスの社長になれと。
左伴:そう。当時は会社が傾いてきた時で、厳しい報酬も受け入れざるをえなかったしね。管理職ですら奥さんがアルバイトをしていましたが、うちも家のそばのスーパーでレジ打ちを1年くらいやっていたかな。家のローンも払えずに管理職なのに労働組合にお金借りに行ったりね。そのくらい苦労をしましたよ。会社も本社ビルをはじめ売れるものは売りつくしている中で、横浜マリノスは毎年赤字を出しているにもかかわらず、2002年ワールドカップが日本で開催されるからその時にオーナーだと従業員のモチベーション維持できるだろうということで売却しませんでした。そこに「お前行け」って言われたものですから正直、最初は左遷かなと。全国の工場をいくつか閉めて、連結会社に転籍した社長さんのところの株を売却していくという厳しい施策を行っていたことを考えれば、良しとしなければと自分を納得させていました。
―複雑な思いで新しい場所に赴任され、結果として20年以上スポーツの世界にいらっしゃるわけで、その一番の根拠は何だったのでしょう。
左伴:2001年、名門と言われたチームが序盤戦から残留争いをすることになり、選手達がどれだけ悔しい思いをしているかは、それまでサッカーに縁のなかった僕でも分かりました。それで夏の補強時期に何とか資金を調達して盛り返していき、最終戦の神戸ウィングスタジアムで残留が決まった瞬間、メディアの人達が両腕で(残留決定の)マルを記者席から送ってくれてね。ゴール裏にも横浜から来た4、5000人が集まってくれていて、駅までの帰り道でも新幹線でもみんな大喜びでした。マリノスに来る前、日産で工場を閉めて怨まれて、人があんなにもショックを受けている姿を目の当たりにした後ろめたさから自分を責めていました。それと対局にある、自分の手の届く、そして顔の輪郭のわかる距離にいる人たちが泣いて喜んでもらえる仕事を自分ができるのだと思ったら、もう戻りたいとはまるきり思わなくなっちゃったね。
苦い思いをした人ほど、その真逆の状況が起こると強い動機づけに代わってくるよね。それを「転機」って言うんじゃないかな。僕の場合は、それが日産からサッカー業界というところだったんでしょう。「勝つ回数が少なくても、勝てないまでも、グッドルーザーをチームで体現していこう」「『今日は負けたけどOK、明日から仕事頑張るよ、俺』って言えるような90分を作れ」と言い始めたのもここからですね。
■現役時代から、「自分」を磨く意識を持って欲しい
―アスリートのセカンドキャリアサポート事業について、アドバイスやお考えをお聞かせいただけますか。
左伴:セカンドキャリアはアスリートに限ったことではなく、転機は人それぞれにあるものだと思います。この考えを前提にすると、セカンドキャリアの前のファーストキャリア中からプログラムをいろいろと提供したり、20代の選手に対して研修を用意したりといった発想があってもいいと思います。なぜかというと、「この人なら引退後に現場のコーチやフロントの仕事をやらせても大丈夫だな」と感じさせる資質や適応力は、実は20代前半の時点で経営者が1時間も話すと分かってしまうんです。ふるいがもうその時点で存在しているんです。言葉遣いや人に対しての見方、勝ち負けを素直に受け入れる懐の深さ、状況把握能力の高さなどが見られています。そして20代で評価されていると、引退発表の瞬間から引く手あまたというのも珍しいことではない。だから引退間近の選手や引退後に速攻でやるようなプログラムよりも、現役で本人にはまだそんな気持ちがない時から「20代前半のうちから見てる人は見てるよ」「引退後に引く手あまたになるよ」という意識をさせる研修があるといい。
これはサッカーだけの話ではなくて、他のスポーツでも異業種でも、一人の人間として魅力のある人材が欲しがられるのは同じ。現役バリバリの時代から自分を磨く意識を持って欲しいし、そのきっかけをこの事業で作ってほしいと思います。
―地元の優良企業に「Ath-up事業」について話すと、身体能力以上にメンタリティをはじめとする能力の高さに期待した新規事業や経営戦略まで思いをはせる経営者もいらっしゃいました。アスリートの能力は社会の大きな力になる可能性を秘めているというのを、私自身が気づかされています。
左伴:僕はマリノス時代から現役引退した人をフロントで使っていますが、彼らには大きな強みがあります。プロとして来年契約がとれないかもしれないという有期雇用でやってきた経験があるから、責任感のレベルが全然違います。これは現役引退アスリートがほぼ皆持っている資質ですね。その姿勢はいい方向に出ることが多くて、将来的には経営者になるだろうと思う人もいます。あと、こちらは数が限られるのですが、資金繰りや経営方針についての知識はなくても独自の経営センスで成功する人がいますね。一般の企業経営者からは思いつきのように見えることが、ちゃんと当たってうまくいく。それを傍にいる会社の意思決定の手続きに長けた名参謀役が会社用に資料としてまとめてやると、名社長ということになる。その両方がプロアスリートにはいるので、一般企業の中にポンっといれるととても面白いと思いますよ。
―そうですね。ヒアリングした経営者からは「アスリートをマネージャークラスで採用したら能力を発揮しそうだ」という声もありました。ただ、アスリートご自身にとって、一般企業に行くことをキャリアダウンとまでは思わないまでも、知らない世界で非常に不安に思う部分はあるようです。私達の事業では、左伴さんがおっしゃってくださるような強味がアスリートにはあって一般企業で十分発揮できること、むしろ皆を牽引できる力を持っていることに気がつき、自信をつけて欲しいと強く考えております。
左伴:ひとつ懸念事項もあります。プロでやってきた選手は中高とスポーツ一筋で全国大会まで出て、プロアスリートとして第一線を歩いてきているわけです。Jリーガーだったら、サッカーが好きでしょうがないから一生サッカー界に貢献し続けたいと、大方の選手はそう思っているでしょう。その思いを少し和らげていかなきゃいけない作業ってあると思うんですよ。「あなたの能力は、他の業界でこんなに生かせるのだ」ということを、理屈や体験から実感できる場があるといいと思います。
プロになるために色んなものを削ぎ落として、好きなものを全部断ち切ってやってきた連中は、自分がやっているプロスポーツしか好きなものがないという状況に置かれてしまいがちです。人間て、麻痺するほど長く厳しくやっていると、そのやっていることを好きになってしまう。だから指導者は、セカンドキャリアがあるのだということを早くから選手達に認識させて、目覚めさせてほしい。引退後に資格をとろうと言っても、人は好きじゃなきゃやらないし長続きしないですよ。好きなものをまず作ること、ここが全部につながっていきます。自分はIT系のお遊びに興味があるとか相場が好きとか(笑)、それぞれ好きなものがあると思うので、好きを大事にしてその好きを勉強していって伸ばして欲しいです。
―私も今回の事業の核はマッチングにあると最初は考えていたのですが、進めていくうちに、「実は10代、もしかすると幼稚園児からの研修システムにあるのかも、そのためには指導者用の教育メソッドまでかかわる必要があるのでは」と思うようになりました。
左伴:今日プロに入団した選手も含めて、セカンドキャリアは突然やって来るからね。引退は突然やって来て、セカンドキャリアも突然やって来る。先に言ったように、見る人は現役バリバリの頃から、社会人としてどうかと見ているので、社会人としての磨きは今すぐにでもやって、「Ath-up」のような事業をうまく利用してやるくらいのメンタリティを持って1日1日のプロ生活を有意義なものにしてほしいです。
■プロフィール:左伴 繁雄(ひだりとも しげお)
慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、日産自動車に入社。英国日産自動車製造の設立に携わるなど主に生産畑を歩むが、2001年、45歳にして横浜マリノスの社長に就任。同年降格の危機に瀕したクラブの建て直しに尽力し、2003年、2004年にはリーグ連覇を達成させた。その後、湘南ベルマーレの専務取締役、清水エスパルスの代表取締役社長を歴任。J1・J2双方で優勝を経験し、優勝するために必要なチーム、フロントの在り方に精通する 。2020年3月から、誕生間もないB3リーグ所属のベルテックス静岡にて、「エグゼグティブスーパーバイザー」として営業活動に従事。2021年4月からは、熱烈なオファーを受けてJ3カターレ富山の代表取締役社長に就任した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?