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12/8|スピリチュアルな人になろうとしたり、ヒーリングを意図しなくても、私は「わたし」でいればいい。

「年末の大掃除」ということで、書きかけのままになっていた記事を、急いで公開してる。
1月からは、新しい自分で表現したいから。

この記事も、書きかけのままになっていた記事の1つ。


※※

『スピリチュアルな人』と思われるのも、そういう人が集まるのも、自分が引き起こしてること。

noteを書きながら、『いろんなものをしてていいんだ~』って思ったら、ふと「スピリチュアル」を捨てたくなった。
ここ最近のわたしにとって、「スピリチュアル」は少し重たくて、窮屈で、苦しかったのかもしれない。

私はもっと現実的…というか、自分自身の軸で生きていたいんだと思う。


ここ最近、スピリチュアルっぽい話をできる人が増えてきた。
それはなぜかというと…、私自身が自分のスピリチュアルっぽさを認めて、そういう人たちと関わることを拒絶しなくなったからなんだと思う。


そもそも、私が石垣島に来た理由は、夢で見た離島と人を探しに来たからで。
実際に、その離島を見つけて行ったし。
実際に夢で出会った人にも出会うことができた。

しかも、その人は子供のころからずっと探していた人で。
自分とは違う体験をして、違う人生を生きてきて、違う形をもって、違うことをしてる。
性格だって、表面上は全然違うと思うような部分もたくさんある。

なのになぜか、まるで自分を見てるような感覚になる。
同じエネルギーを持っていて、同じことをしてる。
彼を見てると昔の自分を見てるみたいで…、ふとした瞬間、自分の中に彼と同じ側面があることに気づく。
彼の魅力的に見えるものを、自分も持ってることに気づいて。
自分の嫌いだったところも、彼を見てると好きになれる。

…なんというか、まるで違う人生を歩んだ、もう一人の自分を見てるような、変な感覚になってくる。

いろんなことがたくさん起こって…、気づけば、スピリチュアルな方向に行くような流れが出来上がってた。


…そんな話をしてたら、そりゃ『スピリチュアルな人だ』と思われるし、スピリチュアル好きな人が集まってくるよなって思う。

確かにわたしは、夢で見た島と人を探していて…、実際に見つけることができた。
確かにわたしは、マッサージをしてただけの人だったのに、いつのまにかヒーリングをしてた。
いろんな人の色やビジョンが見えることもあるし、なぜかわかることもある。
不思議と、いろんなものが引き寄せられてくるような感覚もあるし、いろんな流れを読むのも得意だったりはする。
人の心や魂の声を感じることもある。…というか、そういうものをキャッチしてるのがわたしの普通だったりする。息をしてるのと同じ。


…なんだけどさ、
基本的に、それを『コントロールしよう』と思うことはなくて、ただその瞬間瞬間を、ごくごく普通に生きてる。

○○ヒーリング・××セラピーみたいなものもなくて…、いつのまにか、やってた。
ただ、それだけ。

わたしのままでいれば、自然にヒーリングは起こる。

…そもそも、セラピストとして癒しを探究していく中で気づいたのは、何かをしようとしたり、何かを見ようとしたり、治そう・正そうとしなくていい。
ただ、『私はわたしのままでいればいいんだな~』って感覚。


私はわたしとして、まっすぐに相手を見て、感じてる。
それだけで、相手の体や心は反応して、自分自身で『もっと見て』と表現して、癒されていく。

まっすぐにエネルギーを見てる。
それだけで、エネルギーが流れ、動いていく。

ヒーリングするときも、『治そう』『エネルギーを流そう』と思うと、滞る。
ただその空間で、その瞬間に感じる言葉を発し、感じるままに動く。触れる。
その方がずっと、エネルギーが動いて、パワフルになるなって思う。


それを、他者が気づいてくれるか否かは、わからない。
気づく人もいれば、何も気づかないまま、「ただ元気になった」という人もいる。

私は…、霊能者でもヒーラーでもなく、ただ「わたし」でいるだけなんだと思う。


マッサージをしてた頃は、いろんな知識を入れたり、『治さなきゃ』『痛みをとらなきゃ』みたいに、焦ってた頃も…あった。
なんだけど、ヒーリングに興味を持った時、自分が何気なくやっていた空気の作り方・呼吸・ちょっとした動作…そういうものの1つ1つに意味があって、ヒーリングしてたことに気づいていった。
人の身体の中が見えたり、感じたりしてることも…、無意識に使ってたからから、後から気づいた。

そしていつからか、自分を癒して、自分の器を広げること・魂の純度を高めていくこと自体が、ヒーリングの純度を高めていくことなんだと思った。


誰かはヒーリング能力を特殊能力のように言うけれど…、私は、特殊能力だとは思えない。

魂の純度が上がって、魂がキラキラしてる人がいれば、周囲の人は、自然にその影響を受けて、癒されていく。

すごくすごく単純に考えたら、元気な人と一緒にいたら元気になるし。幸せな人と一緒にいたら幸せな気持ちになる。
そんなもん。

本来の自分を受け入れてる人のそばにいれば、本来の自分を受け入れていいんだということを意識的にも無意識にも感じていくんだと思うし。
自分らしく生きてる人のそばにいれば、影響されていく。
ただ、それだけのことなんじゃないかなって思う。


私は不器用だから、自分がやりたいこと・自分の気持ちに、まっすぐ向き合っていくことしかできない。
それ以外のこともできるけど…、すごく苦しいし、すぐにつぶれてしまう。

昔は、自分らしくないこともたくさんやってた。
当時は、感覚もマヒしていて、自分の感覚も感情も、何もわからなかった。
だけど、きっかけがあって、そういう自分に気づいていくことになった。
気づけば気づくほど、「自分らしさ」を離れたことができなくなっていった。

自分の魂の声・見えない存在やエネルギーの流れを感じ続けてる。
そこから離れればなれるほど苦しくて、また、その道に戻っていく。


今のわたしは、「自分らしさ」や「魂の本質」から逃げるような生き方をしてる人と関わるのは、すごくしんどい。
なんだけど、「自分らしさ」や「魂の本質」と向き合いたくて、だけど、うまく向き合うことのできない人たちが愛おしくて。そんな人たちのために、自分にできることをしたいと思ってる。

なんとなくだけど、何かがわかったり見えたり、伝えたいことがあったり、ヒーリングしたかったり…、そういう相手は、「自分」「魂の本質」と向き合うタイミングが来てる人が多いような気がしてる。
そして、何かに気づいたり、変わっていくと、離れていく。
…わたし自身の興味も薄れて、離れていく。


お金をいただくことを考えた時、スピリチュアルカウンセリングやヒーリングのような形はすごく便利だった。
別にそれでもいいんだけど…、『お金をもらうから、結果を出さなきゃいけない』『お金を出したぶんの、効果が欲しい』みたいな感覚が、すごくイヤ。
いや、お金を出した分の価値を感じたいのは当たり前のことで…、お金をいただく分の価値を提供しなきゃいけないもの当たり前なのは、わかってる。

なんだけど、スピリチュアルカウンセリングもヒーリングも、人によって感度や受け取り方も違うから、気づく人・気づかない人がいる。感じる人・感じない人がいる。

相手の反応をうかがわなきゃいけないのも嫌…というか、相手の反応を気にすると、エネルギーの周りが悪くなるし、自分が苦しくなってしまう。
私はもっと、自由に表現したいんだと思う。


やっぱり私は、自分の体験・感覚・考えを表現して、そんな「わたし」と『会いたい』『話してみたい』と思ってくれる人たちに会って、時間を共有したい。
そして、必要な人には必要なタイミングで、ヒーリングが起こる。
会ったり話をしていて、『触れたい』と思う瞬間があれば、触れることもしたい。

スピリチュアルカウンセリング・セラピー・ヒーリング…、そういう形なんていらない。
私はただ「わたし」として生きていたい。
スピリチュアルカウンセリングもヒーリングも、その中で自然に起こること。

だからもう、「話すこと」や「ヒーリング」でお金をもらおうとするのはやめようと思う。
もっと自分に集中していこう。

お金を払ってでも『会いたい』と思ってもらえる自分になろう。

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