“好き“を応援したいなら、“好き“を表現する人になろう。
通りがかりに曲を聴いて、そのままCDを買ったことがある。
数年後、彼ら(アルケミスト)のライブ情報を知って、聴きに行った。
初めて彼らの曲を聴いた日のことを思い出しながら思った。
『この人は、ほんとうに歌うことが大好きなんだな』と思った瞬間、胸の奥が震えて、彼らを好きになった。『応援したい』と思った。
すごく単純。
なのに、いつのまにか忘れてた。
わたしは、誰かが“自分の好き“を表現してる姿に惹かれた。
なのに、自分が『好き』を表現しても、そこに価値がないんじゃないかと思ってた。
人の『好き』を応援するくせに、自分の『好き』を応援できなかったんだなって。
結果がどうなるかとか余計なことを考えずに、『大好き』を「大好き」って表現したい。
それだけなんだ。
ただ、わたしらしく、自由に表現したい。
ただありのままのわたしを楽しみたいし、それを表現したい。
それだけだった。
何にこだわってたんだろう??
わたしはきっと、思考的に行動できるほど、器用な人じゃない。
…ちょっと違うか。
思考的に行動することも、結果を出すこともできると思う。
だけど、それは自分らしくなくて、苦しいんだと思う。何者かになろうとする場所に、わたしの幸せがあるとは思えない。
それに、思考的になってわたしは、自分の感覚を感じることも、楽しむことも忘れてしまう。
今のわたしは、自分の感覚を感じることと、楽しむことを大切にしたい。
自分の感覚を自由に表現したい。
ありのままのわたしを楽しみたい。
※
アルケミストを好きになった瞬間…
『この人は、歌うことが大好きなんだな』って思った瞬間…
それは、彼らが持ち歌をうたった時だった。
誰かの作った有名な曲でもなく、コラボ相手にあわせた歌い方でもない。
彼らが、自分たちの曲を歌いだした時…、すごく楽しそうで、のびのびと自由で…、そんな姿に心が震えたんだと思う。
青空の下で、全身で『楽しい』って表現する姿が、キラキラしてた。
きっと私は、もっと自由にのびのびと、自分を表現してみたかったんだと思う。
セラピストとして、すごく恵まれてると思ってた。
天職だと思ってた。
自由だと思ってた。
だけど本当は、もっと自由にのびのびと、自分を表現してみたかったんだと思う。
誰かに合わせた自分・求められる自分ではなく、ありのままの自分を表現してみたかった。
ものすごく時間がかかった。
ものすごく時間がかかったけど…、遅いなんてことはないよなって。
もう1回、やってみよう。
本当にできるかも、どんな形になるのかもわからないけど。
余計なことを考えずに、『大好き』を「大好き」って表現しよう。
自分の感覚を自由に表現しよう。