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「書くこと」が手段から、やりたいことへ。「表現すること」を中心にした暮らしを考えてるみたい。

『書くことを中心にして暮らしたら、どんな感じがするんだろうな~』
約8か月前、そんなことを考えてた。

その頃に生活の拠点にしようとしてたのは、今暮らしてるお家じゃなくて…、もう少し人も少なくて、海が近い所だった。

朝目が覚めて、一息ついて…、『書きたい』と思ったら書く。
『書きたい』と思わない時は、海のそばをお散歩する。
お散歩しながら『書きたい』と思ったら、すぐに書く。

お家でのんびりご飯を食べて、『書きたい』と思った時だけ、文章を書く。
『書かなきゃ』と焦ることもなく、ただ『書きたい』と思った時に、書く。
…そういう生活に、憧れた。


当時の私にとって、マッサージやヒーリングより、「話すこと」が1番だった。
だから、「話すこと」をお仕事にしていくためにも、『書きたい』と思ってた。

…だけど、「マッサージを辞める」と伝えても、そのままそこに住んでいいと言ってもらって…、私はこの計画を白紙に戻した。


この8カ月、いろんなことがあった。
そして今、わたしは、あの時とは少し別の場所で、「書くこと」を中心にした暮らしをできるチャンスに恵まれた。

1~2週間前の私には、まだ迷いがあった。
だから、『1~2か月は、書くことに集中してみよう』と思って石垣に戻ってきたたのに、「働いたら?」とお仕事を紹介されて、ブレた。
「ブログなんて言ってないで、実際に店舗を借りてやってみなよ」と言われれば、そんな気もした。

あの時の私は、『ブログを書きたい』と思いながら、「文章を書くこと」が自分の本当にやりたいことではないような気がしてたし、『ブログを書き続けたところで、本当に結果を出せるのかな?』という不安な気持ちがあったから。

だけど今、わたしは「話すこと」や「ヒーリング」みたいな形ではなく、「自分の魂を輝かせて、その瞬間にしかない表現がしたかったんだ」と気づいた。
そして、そこには「書くこと」も含まれてた。

あの頃の私にとって、「書くこと」は、「本当にやりたいこと」を実現するための手段の1つでしかなかった。
それはただの手段でしかなくて、「やりたいこと」ではなかった。

だけど、今のわたしにとって、「書くこと」も「やりたいこと」になってる。
自分でもよくわからないくらい、わたしの中に『表現したい』って気持ちがあふれてる。
マッサージもヒーリングも、話すことも…、全部が私にとっては「表現すること」で、1つ1つの作品だった。


数日前に、決めた。
自分の人生を生きること。
わたし自身を表現すること。

わたしは今、「書くこと」を中心にした暮らしができる可能性がある。
それは、誰かが与えてくれるものではなく、自分自身で決めていくこと。

この数日、どんな時に書けて、どんな時には書けなくて…、みたいなことを考えてる。
このまま部屋にこもって書くことを考えるのか、それとも、書くための場所を借りるのか…。

お部屋でも書くけど…、書くための場所も必要だな~って思う。
そのわずかな移動時間でも、思考は整理できる。
部屋にこもったままじゃ、煮詰まってしまう。
それに、体のことも考えると、書くための環境をもう少し整える必要性も感じてる。

あとは、「書くこと」だけではなく「表現すること」を考えていくなら、ZOOMのできる環境も必要だなって。
身体に触れることのできる環境を作ることもできるけど…、『もしかすると、遠隔もできるのかな?』とか、今までの自分にはなかった試みをしてみるのもいいかもしれないとも思ってる。

あぁ、気づいたら「書くこと」だけじゃなくて、「自分を表現すること」を中心にした暮らしを考えてるんだな~って気づいた。


石垣に戻ってきたばかりの頃の体験を話した時、「余裕を持ちすぎ」と言われたことがあった。
その言葉が、わたしの話した体験に対するものだったのか…、それとも、それ以外のことも含めていってくれた言葉だったのか、わたしにはわからない。

ただ、お散歩をしながらカフェに行って、知らない人と話したり。
道端で出会った人と話してみたり。
部屋で1人で泣くんじゃなくて、バーに行って誰かと関わってみたり。
…そんな生活をしてた時、わたしの心は軽かったし、自由だった。

わたしにはたくさんの余白が必要だし…、いろんな人に会って、関わっていく。その時間が、すごく大切だった。

心の余白ができた時に浮かんでくる言葉も、誰かとの会話の中で浮かんでくる言葉や思考も…、目の前にいる人との時間を大切にする感覚も、すべてが「わたし」だった。
それらすべてが、わたしにとっては「表現すること」になっていて、心地よかった。

そういう時間があって、たくさんのことを感じて考えるから、自分の中から何かが生まれてくる。
それが自分の気持ち・進みたい方向性を教えてくれるし、そこから新しい表現が生まれる気がしてる。

毎日同じことに繰り返しの中にいたら、だんだん思考は鈍ってくるし、頭が詰まってくる。そこで生まれる表現には、本来あるべき空気感がなくなってしまうんだな~って。
「書くこと」を意識しすぎた、ここ数日の私が感じたこと。


こうやって文章を書きながら気づいた。
わたしは「書くこと」を軸にした暮らしをしようと思ってたけど…、気っとわたしにはたくさんの余白が必要で、たくさんの表現が必要なんだと思う。

「書くこと」を中心にした暮らしを考えることって、わたしにとっては、「表現すること」を中心にした暮らしなのかもしれないなって。

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