言葉じゃ伝えきれない『ありがとう』を。
頼まれたケーキを作って、祖母の家に来た。
頼まれたのは2個だったけど、6個も作った。
『こんなに多いと迷惑かな?』とも思ったけれど、祖母は、自分が食べたいわけじゃない。
お礼をしたい人たちがいて、シフォンケーキを持っていくと喜んでくれるから、ケーキが欲しいんだ。
それも、買ったケーキじゃなくて、「手作りのシフォンケーキがいい」という。
「孫が作ってきてくれたから・・・」というのも楽しみなのかもしれないし、同時に、相手に気を使わせないための言い訳かもしれない。
祖母は「ケーキを2つ作ってほしい」と言う。
だけど本当は、もっと『あげたいな』と思う人はいるんじゃないかなと思う。
それでも、ケーキを作るのに手間がかかることも、持ち運ぶのが大変だということも知ってる。
知ってるから、「2つ」と最小限に必要な分しか言わないんだと思う。
でも私は、祖母にたくさんのモノをもらっている。
数日間泊まって、温泉に入って、美味しいご飯を食べて、とれたての野菜や手作りのお惣菜をもらって帰る。
野菜を作るのが大変なことも、お惣菜を作るのに手間がかかることも、布団までひいてくれちゃうことも。
祖母は何も言わないけれど、本当は大変なことも知っているし、とてもありがたい事なんだと思ってる。
毎月、家に送ってくれる荷物だって。畑でとれたものと、誰かにもらったお土産と・・・いろんなものをくれる。
それを運ぶのも重たいだろうし、送料だってかかる。
そんなことを何十年もやってくれてる。
いくら「ありがとう」を言っても、今更、「ありがとう」を伝えきれないなって思う。
それでも、わずかな「ありがとう」を伝え、祖母の話を聞いている。
確かに、私はケーキを作ってきた。
だけど、私はケーキのためだけに来たわけじゃない。
温泉に入ってのんびりしたかったし、大好きな神社に行きたかったし、近くの海でのんびりしたかった。
私の中には、「ケーキのため」と言い訳しながらも、たくさんの理由があって熱海に来てる。
その中には、『何を話せるわけでなくても、役に立たなくても、一瞬だけでも、祖母の顔をみよう』という理由もあるんだけど。
そんなことを言うのは恥ずかしいし、「そんなことのために、無理して来なくていいよ。時間もお金もかかるんだから」と言われそうな気がするから、祖母に言ったことはない。
今朝、寝坊した私は9時に起きた。
祖母はもう6個のケーキを届け終えて、「ありがとう」と言ってくれた。「誰が喜んでくれて、誰はどんな話をして、誰は『自分の所にまでくれるとは思わなかった』と喜んだ」とみんなの状況を伝え、また「ありがとう」を言ってくれた。
一緒に来ていた母にも、同じ話を繰り返す。そしてまた、「ありがとう」と言ってくれた。
遊びに行こうとする私を車で送りながら、さっきよりも詳しい話をする。
私が話したことがある人なのか?祖父が亡くなって、お別れの手紙を読んでいるのを見た人なのか?それとも、以前にも、私が作ったケーキをあげた人なのか? その辺の話は、よくわからない。
ただ、その人は私のことを気に入ってくれているらしく、よく褒めてくれるのだと言う。
ケーキがたくさんあったから、彼女にも届けることができたのだと。
車を降りながら、「送ってくれて、ありがとう」を言う前に、祖母が「ありがとう」と言った。
『なんか変だな』と笑いながら、「ありがとう」を伝える。
祖母は、ものすごく、たくさん話す。
きっと「ありがとう」の言葉では伝えきれない『ありがとう』を伝えようとしていて。
「ありがとう」の言葉では伝えきれないほどの『嬉しい気持ち』をたくさん伝えようとしてくれてるんだろうなって思った。
※※※
私も、たくさん、たくさん話す。
『話が長いんじゃないかな?』とか、『相手が嫌がるんじゃないかな?』と思うこともあるけれど。
『大好き』や『ありがとう』や『楽しい』みたいな幸せな気持ちをたくさん伝えようとしてるなと思って、なんだか、ほっとした。
そういう言葉や話の中に詰まった思いに気づいてくれる人たちは、私の話を『楽しい』とか『大好きだ』と聞いてくれる。
逆に、その中にある思いに気づいてくれない人は、『ただのかまってちゃんだ』とか『めんどくさい』と思う。
過去の私は、話の中にある”思い”に気づかず、私の悪口を言う一部の人たちに振り回された。
そんな時期もあった。
だけど・・・・
私は、どうでもいい話の中にある”思い”が大好きだ。
ただの「ありがとう」とか「楽しいよね」という誰かに合わせるような表面上の言葉よりも、どうでもいい話の中にあるたくさんの『ありがとう』や『大好き』の気持ちの方が大好きだ。
だから、そういう”思い”を楽しめる人たちと一緒にいたいなって思った。
『大好き』や『楽しい』と思ってくれる人の前では、のびのびと楽しめる。
逆に、『めんどくさいな』とか『なんか嫌だな』と思いながら隣にいる人の前では、私らしくのびのびと話すことはできない。
『幸せな情報』を与えてしまった事を後悔する瞬間もあるし、不平不満のような『嫌な感情』のこもった話が増える。
人は誰でも、多少なりとも、人の空気感や思いに影響されてしまうんだと思う。
自分では自覚していなくても、体や心に影響してる人たちをたくさん見てきた。
本当に、”ただ自分だけ”で成り立っている人なんて、ほとんどいないんだと思う。
だからこそ、『その人との関係の中に、どんな思いがあるのかって、大切だな』と思う。