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「責任を取る」とは逆の行動をする人たち

初めて『人類学』というワードを知った。文化人類学や医療人類学などがあるらしい。私とは違う視点でコロナ禍を見ると新たな発見があって興味深い。今回司書さんから薦められ手に取ったのは磯野真穂氏の『コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート』

私をフィールドワークに向かわせたのは、コロナに罹らないことが命を大切にすることであるという、生をあまりに平坦化したものの見方と、それがあっさりと現実化する世の流れへの恐怖、名誉心を装う虚栄心への怒り、同じ社会を未来に残したくないという願いであった。

著者が引っかかっていた医療専門家たちの「自分たちは専門家なんだ、おまえたちは素人なんだ」「おまえたちは分かっていないから教えてやるが」「何も知らないおまえは黙っていろ」という上から目線の強い圧。そもそも専門家っていうのは偏っている思考をしがちで、ヒトは平等であるという感覚が欠如してしまっている人種だからね~

「気の緩み」で感染者数が増える

私が感じたコロナ禍での一番のツッコミどころは「気の緩み」だろう。あれだけ「科学的根拠が」と言っておきながら、最後には“”なのかい!と。マスクをしないこと、アクリル板を置かないこと、イベントを決行すること、これらは全て「気の緩み」の証しとして捉えられると著者。

あの時多くの人たちが、「あなたの無自覚な行動が、高齢者や基礎疾患を持った弱い人たちの命を奪うかもしれない」と声を上げていた。それが是だとするならば、私は今でもこう返したい。「あなたの無自覚な呼びかけが、元々雇用が脆弱な人たちの仕事を奪い、その人たちの暮らしは今も揺らいだままかもしれない」と。

お偉方たちの脳内では「世界は自分を中心に回っている」のだ。物事を中庸で考えることができず、他者の生活なんて1ミリも考えたことないんだよ。私はコロナ禍で一度だけ権力に楯突いたことがある。教育者が子どもの自由を奪っていい権利があるのか?と。

もう二度と教育委員会に出向くことはないけどね(笑)。これも私にとってはフィールドワーク。自分の目で見て聞いて判断する。教育者は生徒一人ひとりを自立させるために様々なことを正しく教えるんじゃなかったのか?

最後の第6章は感動した。こんな介護施設が実在していたんだね。代表の中迎氏の言葉が素晴らしい。これはどんな業種にも当てはまるぞ。

「責任を取る」とは、なぜ自分がそれをやったかを説明できることだと思う。
「みんながそうやっているからやる。上からそう言われたからやる。こういう姿勢ではケアは成り立たない」

上記の介護施設の話は最近の記事でも報じられるようになった。いつか誰かに訴えられるまで医療機関や介護施設は人権侵害を続けますか?



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