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無自覚な思い込み(社会の幻想たち)


 4月から始めた就活も今日で終わり。
ファーストキャリアはローカル
今思うことを書き残しておきたいと思う。

1.強さの証明

 僕がなぜ就活をしたのかという理由の大きなものとして、
内定=強さ・能力の証明』があった。

 今思えば、地方から出たいとは思っていなかっただろうし、
むしろ『地方から出られない人(=能力のない人)』という幻想が大きかったんだと思う。

 結局、終わり際には、自分の想いに気づくことができて、
地元に残るという決断ができた。

2.可能性を広げるって?

 地方より都会に出た方がいろんな可能性が広がるし、地方に残るのは僕の可能性を狭めてしまうことになる
 とよく言われた。

 選択肢や情報の多さということに関しては、まったくその通りだと思うが、今思えば、僕の可能性を勝手に決めるな!とか、地方の可能性を決めつけるな!とか思う。(笑)

 『可能性』ってなんなんだ。(笑)

 可能性が広がるという表現は、見えているモノの多さにあるんだと思う。
だから、地方には可能性が『少ない』というのだろうか。

 可能性を『伸びしろ・関わりしろ』とするのならば、地方は可能性で溢れていると思うし、むしろ、僕には『見えていない』だけなんじゃないかとも思う。

田舎って何にもないっていう人は、何にも見えていないから何にもないって思う。

セブンルール 1.10. OA 【ガーデナー・青木真理子さん】

 反対も然りだと思うが。(笑)
地方の可能性を信じることで、都会の可能性を信じきれないとか、
単に批判したりするとか、そんな大人にはなりたくない。

 むしろこれから必要になっていくのは、その『横のつながり』であり、
『架け橋』役なんだと思う。
 どちらのよさも受け入れられる器があり、同じところを目指しているのだからいいやんと協力できる軽やかさを持ちたい。

 可能性なんて、結果論だ。
そんな可能性という旗を掲げて、むしろ僕たちの想いを矯正しないでほしい。

3.成長とは?

 正直、『成長』なんて幻想だと思う。(笑)
どんなときに成長を実感するかって、振り返ったときだから。
 過去の点がつながったときに実感できるモノ。

 そう考えると、『成長』は未来にはない気がしてくる。
むしろ、過去の自分を肯定することに成長の本質があるのではないか。

 言葉を選ばずにいうと、今生きている社会は『成長』が目的になっていて、もっと大切なモノ(人生の目的)を見失っていると思う。

 だから、ずっと満たされない。足りない。さらには、現状に満足することは許されない。そんなの甘いと罵倒される。

4.新しい『成長』のかたち

 現状・過去を認めることから始まる『成長』。それを見てみたい。
それが実現したときには『成長』ではなく、そこに新たに当てはまるのは『許容・肯定』なんじゃないか。

 そもそもだれが『現状に満足するな』と言い始めたんだ。(笑)
その言葉の本当に意図することは何だったんだろう。

 ビジョンを掲げて、足りない現状を生きるのは僕は辛い。
 小さい頃の自分やどうしても変えられない自分を許すこと、認めること。
そして、替えの効かない自分であると尊重すること。
(厳密にいうと、仕事においては自分の代わりなんて山ほどいると思うし、
本質は、効かないと信じたいというだけなのだと思う。
 ここで言っているのは、自分というストーリーを歩いてきた自分のこと)

 沢山のできないことや凹凸のある自分を認める(ちゃんと見てあげる)、
そしてその自分であっていいと許すこと。
 『自分で自分に許しを与え続けること=成長』
 となっていく日本を見たい。

5.最後に

 さっき、メモ帳に書いたことをここに残してこの場を締めたい。

 気づいたら『未来が先』とかないし、
自分の選択は、自然と、自分のやりたいの延長上にあった。
 成長なんて幻想だ。成長は目的ではなく、過程(プロセス)の評価に過ぎない。ふりかえらなきゃわからないのだから。
 大切なことは、能力でも、才能でもなく、自分の想いを持つこと。
そこに優劣なんてないし、そもそもレールが異なっている。比べること自体が無意味だ。
 社会は人の集まり。そんな荒波の中で、幻想ではなく、
自分の羅針盤に従って、自分のペースで泳ぎ続けること。
 その先に、求めていた社会での成功もあると信じたい。

メモ帳より


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